「待降節(小塩力の説教紹介)」説教 井川 満

■2020年5月10日(日)復活節第5主日

■ ルカによる福音書19章1~10節

 1.はじめに

ジャン・セバスチャン・バッハは、ドイツ・ライプチッヒにある聖トマス教会の楽長(カントル)として知られております。バッハの時代は教会所属の楽士は担当の礼拝ごとに,そこで奏する曲、合唱団が歌う曲などを作っていたように聞いております。

現在、世界の教会でどのようになっているのかは知りませんが、私の承知しているところでは概ね前奏等は、過去の偉大な音楽家が作ったものを演奏しており、また讃美歌も決まったものの中から選んでおります。

北白川教会は2020年冒頭より、実質的には昨年7月より牧師不在であり、加えて新型コロナウイルスによる緊急事態宣言によって、今守っているような形での礼拝を続けております。このような形がいつまで続くかは分かりませんが、目下片柳さんと私で交代で奨励を担っております。私が、このような役をいたすことが宜しいのかどうかは分かりませんが、少人数であっても、会堂に集まり心を合わせて礼拝を捧げられることは、私には深い喜びであります。

とは言え、私の専門は数学で、これまでに聖書の学びは殆どやっておらず、ましてや神学的な本は読んだことのないのが実際なのです(専門が数学と言うことは、聖書の学びをしなくても良いという訳ではないのですが)。このような者が奨励を担当することの可否を思わざるを得ないのですが、こういう立場に立ってみてふと思ったことは、教会音楽は先人の作った曲を再現することがむしろ当たり前になっているのに、説教、あるいは奨励は各教会で聖日ごとに担当者が新しく作っているのはどうしたことか。増してや信仰の乏しい私のような者が、神学的に大きな誤りを犯しかねないままで危険をしているかもしれない話を作るのがよいか、それとも先人の優れた説教をここで読み上げる方が礼拝として良いのではないかと考えることがありました。とは言っても、この考えを押し詰めていって、それならば教会に集まったりしないで各家庭でテレビの前に座って、誰か立派な説教者が語るのを聞くほうが良いのか、と考えるとそれもどこか違うように思います。

現在のようにやや決まった形式から離れた形で聖日礼拝を守っているときに、何方かの優れた説教を聴くということはあっても良いのか、このような試みは許されるのではないか、と考えました。今回、この試みを実行してみようと思ったのですが、思いのほか難しそうで諦めました。その代わりに、候補として選んでいた説教記録を紹介することにしました。

 

2.小塩力

今日紹介させて頂こうとしている説教は、小塩力が1947年11月9日に行った説教の記録です。タイトルの通り「待降節」の説教です。私にとっては、小塩力は何よりも奥田先生の一番近しい友人であったとの思いをもっております。1958年に召天しておりますが、それは私が北白川教会に出入りする様になったときより数年前になります。私よりも少し前から居られる方は小塩力先生を良くご存知とおもいます。別けても狩野義子さんは恵泉女学園で小塩先生から数学を教えてもらい、また先生が牧しておられた井草教会の礼拝に出ておられました。さらに東京から京都に移られるときに、小塩先生からの奥田先生への紹介状を持ってこられたと伺っております。

私は奥田先生から小塩先生の話を何度か伺いましたが、本当に奥田先生にとっては心置きなく、何でも語り合える友人で、先生がそれを本当に喜びつつ大切にされておられたことはよく分かりました。写真を見ると、お二人の風貌は全く対照的ですが、心響きあうものがあったと思われます。また鈴木淳平先生とは旧制松本高等学校以来の親しい友人でもありました。その意味で、北白川教会とは深い関係にある先生です。

しかし、私は小塩先生の文章は、著書「高倉徳太郎伝」を奥田先生からお借りして読んだだけでありました。昨年のクリスマスに刊行された共助会100周年記念の戦前の共助誌記事の選集編纂の手伝いを僅かにやらせていただきましたが、その折に小塩力の文章を読み、その存在の凄さを知った次第です。

 

3.「待降節」と題された説教

3-1,  ザアカイの登場

「待降節」と題された説教ですが、取り上げた聖書は今読んでいただいた箇所「ザアカイ」の物語です。小塩は次のように説教を始めます。

 

「イエスの生涯における最期の一週間に踏み入るちょうど一日前のことである。明日は祝祭の首都エルサレムに入城せんとして、国家国民のために泣き給うべき日である。受難の一週は、人類の罪を負って十字架にかかるゴルゴダの丘に、きわまり尽きようとしている。このようなとき、イエスは人ひとりの救いのために、心ゆくばかりのつとめをはたし給うたのである。」

 

これは受難についての説教ではないかと思われる書き出しです。私は、ここに小塩力の非凡さを見る思いが致します。ザアカイの物語から待降節の音信をどのように語るのか、それだけでも心惹かれます。

今引用した部分に「人ひとりのために」とある「人ひとり」はザアカイを指しております。すこし飛ばしまして、次いでザアカイという人物が紹介してゆきます。まず「徴税人の頭」と言うことについて。

 

「今日の税務署長とか税関の役人とかというものを考えたのでは、この頃の取税人に対する民衆の感じはわからない。ローマの番犬か手先として、窮迫した民衆の生活の法にふれる微妙な箇所をかぎつけては、不当に圧迫し搾取していた。(中略)一般民衆は、彼らの背後にあって彼らを躍らせているものを、みぬくことはできなかったから、うらみを彼らにばかり集中したわけである。肩身のせまい思いをして生きてゆかねばならぬ彼らは、自然金にたよるために私服をこやす役得不親切はつきものとなり、精神生活は荒(すさ)みはてていた。」

 

  「一般民衆は、彼らの背後にあって彼らを躍らせているものを、みぬくことはできなかったから、うらみを彼らにばかり集中したわけである」という鋭い説明から、小笠原先生の視点を思い起こさずにはおられません。「ザアカイ」とは純潔を意味するようで、日本語だと「純彦」あるいは「義男」に相当する名前であることを紹介しつつ、ザアカイが携わっていた仕事は、民のうらみが直接向けられるものであるゆえに、かれの心は荒み、親が付けてくれた名前からは遠い存在となっていたことを指摘します。

 

3-2 イエスとザアカイとの出会い

  イエスの一行がザアカイの住んでいるエリコを通過するということを知って、ザアカイはイエスを見たいと切に思ったようである。「単なる好奇心からであったか、自らも悟りえぬほど深くに潜む『永遠なるもの』『聖なるもの』への憧憬からであったか、いずれとも決しかねる」と小塩は語ります。「ともかく、世間の冷たいとりあつかいには慣れている身ながら、このイエスをぜひ見たいとの内的衝迫にかられて、路傍の無花果(いちじく)の大樹によじのぼるのである」とザアカイの行動を述べております。

  このザアカイの姿を「矮小(わいしょう)軽躁な半白老人」と、すなわち背丈が小さくで、おっちょこちょいで騒がしいごま塩頭の老人と描いております。

ザアカイがよじ登った無花果の木のところを過ぎようとして、イエスはザアカイに向けて顔を上げて声を掛けます。私たちの今使っている新共同訳では「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」となっています。口語訳では「きょう、あなたの家に泊まることにしているから」となっており、共同訳聖書では「今日は、あなたの家に泊まることにしている」となっています。

小塩はこの部分について

「あなたのうちに泊めてもらいましょうか、ではない。泊まらねばならぬ。泊まることに決まっている。そういう、かなり断定的な、やや無法な『泊まるよ』である」と記している。

  この取税人に向けて、イエスが顔を上げて「おまえの家に泊まるよ」と声を掛けた瞬間に、「人格と人格が出会ったのである。永遠のことが、一瞬にして起こったのである。しかも鉄を、灼熱しているときに打つように、人格交渉の高度な瞬間に、ハンマーは急所を撃ったのである。」

 

3-3 待降節の意味

この無花果の木に登ってイエスを見ようとしていたザアカイにイエスが声をかける、「おまえの家に泊まるよ」と。この出会いの中にこそ、待降節の意味が十全に示されていると小塩は説くのです。以下の部分がこの説教の中心部分であろうと思われます。長くなるがそこを読んでみます。

 

「イエス・キリストは、今日のわたくしどもにむかっても、同じように、いそぎおりよ、今日なんじの許に宿るべし、といいたもう。準備はないのである。よくよく熟慮してイエスを迎えようとしたわけでもないのである。神性の前にばくろされる、人間のオッチョコチョイ、軽率性・無準備が、ザアカイの性質や状況に即してあらわである。この荒廃したわが魂に、このすすけた心に、この浅ましくもするどくなった精根に、救いはいかにしてのぞむのであるか、心構えが完了してからというならば、百年河清をまつにひとしい。矮躯が長身に、不義にみちた過去が名のごとく清純になってからというならば、それは全くの不可能事を強いることであろう。することなすことにあらわれるオッチョコさも、そこはかとない求めの中に凝固してくる希望も、彼方からの呼びかけや攪拌に対するつたない反応である。イエスの来臨にふれるとき、世界はいつでも、このような無準備・取り乱しを露呈しつつ『喜び』(6節)にあふれて彼を迎えるのである。

イエス来たり給わんとす。宿り給うべし。これが、とりもなおさず、待降節の意味である。アドヴェント、すなわち、アドヴェントゥス。到来とか、出現とか、降臨とかいう言葉である。神の子イエス・キリストが、世界の内に見えるかたちをもって来臨したもうのは、第一にクリスマスの出来事であり、第二に終末のそれである。これを内に含みつつ、教会用語としては、降臨祭の準備期間ほぼ4週間を言い表す。それは聖夜への備えであるがゆえに、『光への歩み』という美しい表白も、許されぬではない。しかし、真実には『光からの歩み』である。光の方が入りこんでくる、その前駆的しるしである。

『今晩、お前のところにとまる』。これだけの約束が、あらゆる無神的拒否の力に抗し、罪と死のさ中になって、よろずのことよからざるなしと信ぜしめる。むこうから光が射してくる。生命の主が来泊しようとして進みきたり給う。これこそアドヴェントである。

(中略)今という今、準備なき今宵、主が来たり給うという現実に、驚愕し、歓喜する。そのような形で信仰認識することが第一義のことではあるまいか。この約束には、神の予定の裏打ちがある。かみの措定の確乎たる響きがある。(中略)。しかもなお、この約束が、受肉を俟望(しぼう)せしめ、イエス・キリストを俟たしめるということは、世界の現実の根本的構造を厳かにうかがわしめるゆえんである。歴史はいま綜合をもっていない。世界は虚無と悲痛のなかから、半自覚的に救い主をあえぎ求めている。降誕節的世界である。主の呼びかけにこたえる、いたましくもくずれた世界、それが待つかたちに姿勢をととのえ得るということこそ、終末的な喜びの破片が先取りせられる世界というべきである。」

 

3-4 みんなのつぶやきとザアカイの決意

  ザアカイはイエスから「おまえの家に泊まる」と言われて、急いで無花果の木から下りて、イエスを自分の家に迎え入れます。その様子を見ていた者が皆が「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった」とつぶやいたという。

小塩は「ここに前者(ザアカイ)における喜びと後者における呟きが対照される」と記している。そして、ザアカイの心について

 

「冷ややかな世人の視線を背にうけつつ、ざまをみろというような低い気持ちもあったかも知れぬ。自称義人の呟きをききつつ意気昂然としたかも知れぬ。それにしても、救い主の来臨がもたらすなんともいえぬ喜びが、こみあげてくる。他をみかえす気持などは、いつしか失せさって、本質的な終末的な、神の国としての聖なる喜びが我らを包んでくる。」

 

他方、呟いた人たちについて小塩は

 

「これに対する呟きこそは、我々人間の宗教心の、くすぶった自己憤怒にほかならない。卑屈な、内へどくろをまきこむ内攻的な自己承認である。他の幸をともに喜べない心、不平が絶えないで救いをうべなえない卑しい気持ち。わたしどもは、いろいろな場合に、このような呟きにとらわれる。屁理屈も呟きの積極面であろう。」

 

と述べる。私の心を抉る記述である。

ザアカイはイエスを食卓に迎えて、主人として感謝の辞を述べるとともに、次のように語った。

「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にしてかえします。」

このイエスに対してなしたザアカイの約束、決意表明について次のように述べる。

 

「彼(ザアカイ)は短時間に、イエスの悔い改めへの召しを感得し、確乎とした態度をもって決意をいいあらわすのである。それも、決して一般的な形で、罪を悔いますとか罪の赦しを信じますとか、神を信じますとか、いうのではない。自分に確かにできる、それだけにいちばん苦しい、具体的な仕方で告白するのである。もっとも具体的な財についての問題を、明確な律法の規準にてらして、判断し決意するのである。(中略)

この決心の披露について、批評をしようと思えばできるかもしれない。しかし、ザアカイにとっては、精一杯、あるいは精一杯以上の決意であったことを考えねばならない。財産の半分を施す。それから、律法にふれるといえば触れるかも知れぬが、とに角税吏からいえば不当な掠奪と自認すべき事件を思いうかべて、しかも最高度のつぐないをしようとする。金こそ生命であった者にとって、これは死を意味することである。ザアカイは生命を賭けたのである。血をはくような告白が、淡々と、事務的なかたちでのべられた。ここには信仰による承認と行為による承認との分裂分化はない。神を信ず、という信仰告白は、かような相対的な行為の決断告白において、成し遂げられてゆく。(中略)

ザアカイの態度は、キリスト者の信仰決断への良い原型を示してくれる。生と財との具体面に深く喰いいって、ここでこの時代の問題の中髄に触れつつ、全力をつくして神を信じますといいきるものとならねばならない。かかる具体的信仰告白のなされるとことには、すでに『救いは来ておる』のである。」

 

ザアカイの告白を巡って、小塩の述べるところは私にあり方を強く問うてくる。

 

「金こそ生命であった者にとって、これは死を意味することである。ザアカイは生命を賭けたのである。血をはくような告白が、淡々と、事務的なかたちでのべられた。ここには信仰による承認と行為による承認との分裂分化はない。神を信ず、という信仰告白は、かような相対的な行為の決断告白において、成し遂げられてゆく。」

 

3-5 むすび

ザアカイ物語の終わりに述べられているイエスの言葉「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである」を引きながら、次のように述べて説教を締めくくる。

 

「悔改めのおこるとき救いは来る。救いの入り込むときに信仰は創造される。相互相関的な事実である。そしてそこにはイエスがいます。説明句は、たどたどしい理由づけにすぎない。ともかく、家長一個の決断は、全家を救いに導いたのである。吏長一人の転向は、手下や部下のすべての面前に、アドヴェントの光をもたらしたのである。十字架を前にして、主は最期の宣教の播種と収穫を一夜にあつめて、本心を明らかにし、深い喜びの息づかいを分かち給うた。

神と人、人と人との、平和な交わり、すなわち救いの現実感を、味わい知るものは、失われたるこの身をかくばかりにつつむ待降節の約束の言に、つよく起たざるを得ないであろう。」

 

4. おわりに

小塩力の説教の紹介を終わるに当たって、拙い感想を少し述べてみたい。『奥田成孝先生共助誌掲載記事選集』の中で私が一番好きな記事は、「一つ魂を求めて」と題されたペテロの召命について書かれたものです。この記事をよむと、この記事の中に描かれたペテロに奥田先生が重なってくる思いが致します。先生がこのイエスとペテロの出会いの場面をえがいた中に、意図したかどうかは分かりませんが、色濃くご自分のイエスとの出会いの経験が投影されているのを感じます。これは当然のことで、奥田先生に限らず、ペテロ以来のイエスと出会われた方々の姿なのであろうと思わざるをえません。

わたしは今回小塩力のこの説教を読みながら、同様にザアカイの姿が小塩先生に重なる感がいたします。聖書の記述を順序どおりに追いながら、その場面の説明をしているわけですが、描写は本当に活きいきとしています。描写力の凄さを感じます。また、先にも述べましたが、取税人に仕事に関わる人間社会の構造についての鋭い、本質をついた注意などは小笠原先生を思い起こさせるものを私は感じます。あらゆる面で洞察力の深い方であったのが分かります。

何よりも、小塩力自身がイエスに出会った喜びを溢れるばかりにもっているのが伝わります。教会とは何か、もちろん各個人が救いに与ることは大切なことです。しかし、それで終わるならばイエス・キリストの教会ではないと言わざるを得ないのです。教会にはイエス・キリストの福音を伝えるという使命があります。この使命は教会にイエスとの出会いの喜びが溢れているかどうかが要なのです。奥田先生の「一つ魂を求めて」や小塩力の今日紹介した説教からは、イエスとの出会いの喜びが溢れています。

教会の原点ともいうべきことが示されているように思います。

(日本基督教団北白川教会信徒)

 

【註】この説教は『小塩力説教集』第2巻、新教出版社、1977年に所収されている.また、「日本の説教者たちの言葉『輝く明けの明星』待誕と降誕の説教」平野克己編、日本基督教団出版局、2018年にも所収されている.