平和への強い願い(2015年8号)〜小菅 敏夫
2015年に敗戦70年の日を私たちは迎えたが、この年ほど再び戦争の道へ逆行する国へと舵を切ったのではと憂慮している年はない。敗戦50年の1995年の国会における「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」は、いわゆる村山
続きを読む2015年に敗戦70年の日を私たちは迎えたが、この年ほど再び戦争の道へ逆行する国へと舵を切ったのではと憂慮している年はない。敗戦50年の1995年の国会における「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」は、いわゆる村山
続きを読む「死者は記憶されることで生きる」(「新版 きけわだつみのこえ―日本戦没学生の手記」岩波文庫から) 戦後70年の夏が過ぎ去った。私は共助会夏期信仰修養会に参加した後、8月中旬に長年の念願であった、長野県安曇野池田町の『上原
続きを読む私は、1945年6月生まれ、戦後民主教育の中で育てられたといえる。父は熱心な仏教徒の家に生まれ、毎朝祖母 から教えられて念仏を唱えるのが日課であったという。 しかし青年期、内村鑑三の本に心を砕かれ、1923年の関東大震災
続きを読む今年3月23日(月)から25日(水)まで韓国の済州島で第6回韓日基督教共助会修錬会が持たれた。主題は「主 に在る友情の新たな扉を開く―ただキリストの十字架を仰いで―」であった。5年に1回から3年に1回へ韓日基督教共助会修
続きを読む一月二十四日土曜日、四時半起床。 こんなに早く起きたのは何年ぶりだろう、緊張しているせいかあまり眠くない。第二回青森共助会に初めて出席するため六時三十二分東京発、新青森行き新幹線「はやて一号」に乗車する。 九時五十分
続きを読む昨年の十月二十三日、小雨降る中を、松本共助会のメンバーと共に山梨県北杜市に浅川・兄弟資料館を訪れた。兄・伯教は、山梨県師範学校を卒業し、しばらく小学校の訓導として働き、朝鮮に渡ったのが一九一三年のことだった。朝鮮でも訓導
続きを読む混じりけがなく、ひたすらであることを「純一」という。澄みきった素直な心で、対峙すべき対象に恐れなく正対し、時に、大胆に身を委ねていく在り方。幼子や青年が本来的に保持する特性。だが今、この国の子どもや青年達の多くは、この純
続きを読む「あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。」(コリントの信徒への手紙1 第6章19節b─20節a) 北白川教会の任を退かれて横浜・戸塚に居を移された奥田成孝先生をお訪
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