追悼:宮原守男氏―共助会精神を生き抜く 牧野信次

追悼 宮原守男氏

敬愛する宮原守男さんは2021年12月14日(火)の午前1時5分にご自宅で栄子夫人とご家族に見守られながら安らかにご召天なさいました。1928年2月20日に福岡でお生まれになっていますので、93歳10か月の御生涯でした。

宮原さんの弁護士としての67年間の長きに亘る活動の中での若き時に、三井三池労働争議やロッキード事件(丸紅ルート)の主任弁護士としてのお働きは知る人ぞ知るであり、また奉仕として日本基督教団の顧問弁護士を終生続けられました。そのキリスト者としての信仰や活動の証しを『信仰・希望・愛』(教文館、2017年発行)に著されています。

宮原さんは1949年2月に日本基督教会 福岡城南教会にて藤田治芽牧師より受洗、その4月に東京大学法学部法律学科に入学、駒場寮に入居し、当時すぐ近くの日本基督教団 美竹教会の浅野順一牧師を訪ね(藤田牧師の推薦)、指導を受けつつ礼拝と祈祷会に熱心に出席された。いつ共助会に入会されたのかは手元に資料がないので分からないが、内田文二さんが学生時代に初めて共助会に参加された時に宮原さんがいらしたとのことなので、1950年頃ではないかと思われる。浅野牧師との「出会い」は宮原さんの生涯を決定する大きな出来事であり、私もまたしばしばその証言をお伺いした。宮原さんは恩師の導きの許に後に「悪童会」という青年グループをそのキャップとして形成し、そこから石川義和(物理学者)、深瀬忠一(憲法学者)、岩井 要(建築家)、掛井五郎(彫刻家)等々、とても個性ある有為な青年たちが巣立っていきました。しかし1970年3月に母教会の有志と共に宮原さんは神南集会(後の新泉教会)を設立し、私もその時お別れせねばならなかったが、主にある交わりは変わることがありませんでした。

1983年に宮原さんが首唱して浅野賞を設けて受賞者に記念講演をしていただくことが10年間続き、後の10年間は浅野順一記念講演会が続けられた。その最後にご自身が講演を引き受けられました。確か島崎光正さんと李仁夏さんが浅野賞を受賞されたと記憶しています。宮原さんが共助会の「キリストの他自由独立」「主にある友情」の根本精神を自らの世俗の場で生き抜かれたことに心からの敬意を表します。その最晩年には夏期信仰修養会に続けて参加され、虎の門法律事務所代表、教文館会長を最後までお勤めになられました。有難うございました。

(2022・1・6記す)       

(日本基督教団 隠退牧師)