追悼:池明観氏―常に砕かれた魂 飯島信

追悼 池明観(ミチョンガン)氏

元 韓国問題キリスト者緊急会議実行委員

池明観先生と初めてお会いしたのは、1974年2月、西早稲田にある日本キリスト教会館5階にあったCCA(アジアキリスト教協議会)の事務所であった。先生が政治亡命に近い形で来日されてから2年後のことである。韓国民主化勢力から託された日本市民及びキリスト者らに宛てた6通の声明を持って事務所を訪れると、そこで待っていたのが池明観先生であった。先生は、すぐに日本語に翻訳し始めた。ソウル大文理学部学生会から「日本の民主的、良心的人々へ」と題する声明を訳しながら、「この手紙、なかなかいいですよ」と呟かれた先生の声は今でも耳に残っている。これら6通の声明は、「朝日新聞」(1974・2・16朝刊)、「朝日ジャーナル」(1974・3・1号)、『世界』、「キリスト新聞」などで紹介され、日本に韓国民主化運動を知らせる先駆けとなった。

 池先生の働きのかけがえのなさは、言うまでもなく「T・K生」の名で1973年から1988年にわたり『世界』に連載された「韓国からの通信」である(以下『通信』と略す)。朴 正煕から全 斗 煥へと続く軍事独裁政権下における学生、知識人、労働者、宗教人、言論人らによる民主化の戦いの実情を日本及び国際社会に知らせ、広く支援を呼びかけたこの『通信』は、後に岩波新書4部作となって刊行されるが、その発行部数は50万に達した。

1987年に民主化が達成されてからの働きも目覚ましかった。金大中 大統領のブレーンとして韓日共同歴史研究韓国側代表、韓日文化交流政策諮問委員長となり、それまで閉ざされていた韓日文化交流の扉を開いた。

日本での生活は21年に及ぶが、今なお心に残る先生の言葉がある。一つは、在日韓国・朝鮮人対する民族差別を指し、「これほどの酷い差別は経験したことがない。アメリカの人種差別よりもっと酷い」と苦渋に満ちた表情で語られたこと、後一つは、過去の歴史を評価する際、現在の価値観を安易に持ち込むことには慎重でなければならないと言うことであった。98 年に及んだ先生の人生を貫いていたのは、神によって常に砕かれた魂をもって正義を追い求め続けたことであったと、今改めて思うのである。          (日本基督教団 立川教会牧師)

[「クリスチャン新聞」2022/1/30

号より転載]