人生に、たった一つの日の思い出 丹羽 望
この課題を与えられてしばし考え込んだ。ボクの場合、有るとすれば、「非戦・平和」を自らの生き方として決意したとき。しかしそれは、一日、一時のことではない! 昭和20年8月15日、前夜からの秋田土崎への大空襲。防空壕から
続きを読むこの課題を与えられてしばし考え込んだ。ボクの場合、有るとすれば、「非戦・平和」を自らの生き方として決意したとき。しかしそれは、一日、一時のことではない! 昭和20年8月15日、前夜からの秋田土崎への大空襲。防空壕から
続きを読む昭和11年生まれの私が小学校3年生の頃戦争は末期を迎えていた。中島飛行場のあった前橋市はアメリカ軍の爆撃を受けて焦土となった。小学校が国民学校と呼び変えられ、1年生の国語の教科書第1ページが「コイコイシロコイ」から「ス
続きを読む共助会から「私と『あの日』」について、書いてくださいとの依頼がありましたが、1949年生まれの私にとって、終戦前後のことは分かるはずもなく困りましたが、私なりにわずかに残っている思い出として述べたいと思います。 私の
続きを読む1 「あの日」1945年8月15日 わたしは10歳、桐生市立・北国民学校(小学校ではなく国民学校)5年生の夏休みでした。10日ほど前に前橋市が大空襲を受け、警戒警報で明け方起こされて、20㎞以上も離れた桐生市から、西の
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