「韓日基督教共助会修練会」への導き 李 相勁
1919年(「三・一独立運動」の年)に創設された「基督教共助会」は、韓国の友との「主にある友情」に支えられて、「韓日基督教共助会修練会」(以下、「修練会」)へと導かれました。私は何度か「修練会」に参加させていただき、主の
続きを読む1919年(「三・一独立運動」の年)に創設された「基督教共助会」は、韓国の友との「主にある友情」に支えられて、「韓日基督教共助会修練会」(以下、「修練会」)へと導かれました。私は何度か「修練会」に参加させていただき、主の
続きを読む『共助』第2号は昨秋北白川教会で開催された京阪神共助会修養会特集「魂のことをする ― アウグスティヌスに学ぶ」の記録で、私個人はこの主題の故に大いに参加したかったが、残念ながらできなかった。そのために
続きを読む今回の「一泊研修会」の主題は、「私たちの現在地 ― 歴史・世界・平和」である。高橋先生は、1945年「敗戦」から話し始められた。私が生まれた年である。主題講演の年表に私自身の歩みを少し重ねてみる。 4
続きを読む「荒れ野に水が湧きいで 荒れ地に川が流れる。」(イザヤ書35章6節) 住み始めた小高(おだか)を知りたい。それだけの想いで、伝道所で二つの集まりを始めた。昼の部の「小高への想いを語る集い」と、夜の部の「小高を愛し、小高を
続きを読む新潟市北区太夫浜325、日本海を望む砂丘地に建つ敬和学園高校(1968年開校、1回生入学、今年は55回生入学)。卒業生たちにホームカミングが呼びかけられた。秋深い10月8日(土)午後1時からである。コロナ禍で休止からの再
続きを読む四月から藤崎という町で牧師の仕事をしている。藤崎は平川を挟んで弘前市に隣接する静かな町である。また、古くから交易の拠点として栄えた商人の町であり、りんごの主力品種「ふじ」発祥の地でもある。名所と呼ばれるような場所に乏しく
続きを読むことしの修養会は、3年つづきのコロナ禍で、昨年同様、小諸市古城のグランド・キャッスル・ホテルで行われたが、例年よりメンバーは少なく、31名であった。しかし早くから参加を希望しながら、この事情のため、祈りつつ当地でそれを覚
続きを読む第一次世界大戦直後の1921年、デンマークに一つの学校が誕生した。創立者のピーター・メニケは、敵同士であった者でも、学びと生活を共にすることで、互いを尊重し、共通の理解を育み、平和を実現することができると信じた。私は20
続きを読む軍事侵攻されるウクライナの映像は、驚きとともに戦争の惨めさ、人間のもつ罪の惨状を示され、一日も早い収束を祈らざるを得ません。77年前の焼土となった日本を思いつつ、共助会の出版物等をたどりながら、戦前から追求されていた贖罪
続きを読む昨年11月から共助会の有志メンバー6、7名で中村きよみ様宅において創世記から聖書通読を始めました。創世記の初めのことばは「初めに、神は天地を創造された。」(創世記1章1節)です。聖書はこの天地を創造された方がおられること
続きを読む一月の基督教共助会信仰修養会に参加して、共助会の先達の歩みを学ばされる中で、今は亡き李仁夏先生と沢崎良子さんの言葉が思い出された。李先生のお話をうかがったのは、確か1980年代の京阪神共助会の修養会であったように思う。そ
続きを読む「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイによる福音書 第25章40節) コロナ禍が続く。試練の内容は違いつつもその現実を受け止め、キリストが待
続きを読む2021年のクリスマスを迎える時となった。 恐ろしいことに1年8か月もこの世を覆っているコロナの闇の中で、私は自分の明朗な声を発することができず、人の明るい声も聞くことができず、さらに自分の声を自分の中に埋め込み、閉じ込
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