【聖書研究 主の祈り 第三回】御名が崇められますように 朴大信
はじめに 前回は「我らの父よ」について思いを巡らせました。先に進みたいところですが、一つ、前回の補足から始めたいと思います。それが今回の主題「御名が崇められますように」への架け橋にもなると思うからです。即ち、「我ら」に関
続きを読むはじめに 前回は「我らの父よ」について思いを巡らせました。先に進みたいところですが、一つ、前回の補足から始めたいと思います。それが今回の主題「御名が崇められますように」への架け橋にもなると思うからです。即ち、「我ら」に関
続きを読むルカによる福音書11章1~4節 はじめに 神学生時代、奈良のある教会で夏期伝道実習をしました。近くには鹿で有名な奈良公園があります。私はその公園である一つの光景に驚きました。夏休み、多くの観光客でにぎわう園内でひときわ注
続きを読む【聖書研究 主の祈り 第一回】 ルカによる福音書11章1~4節 はじめに 全6回の予定で、しばらく「聖書研究」を担当させて頂くことになりました。聖書学者でもない私が、この看板を背負うことはあまりに荷が重すぎると躊躇しまし
続きを読むコロサイの信徒への手紙 第3章12節―17節 1 御子の支配 御子の支配とはどのようなものであろうか。ヨーロッパの会を訪れると、黄金と宝石で飾られた王冠をかぶり、地球儀を手にした、あるいは地球儀を足台にして立つキリスト像
続きを読むコロサイの信徒への手紙 第1章13節―14節 第2章11節―23節 1 パウロの真正の手紙との相違点と補足説明 既に述べたように、コロサイ書はパウロが書いた手紙ではなく、パウロの死後、パウロの弟子たちによって書かれたとす
続きを読むコロサイの信徒への手紙 第1章 13節―22節 1 キリスト讃歌 今回取り上げた箇所は、難解なコロサイ書の中でも特に難解とされているところである。なるほどと知的に納得できても、私の信仰の現実としていまだ消化できないところ
続きを読むコロサイの信徒への手紙 第1章21節―22節、第3章12節―14節 1.聖なる者、完全な者 「あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によ
続きを読むコロサイの信徒への手紙 第1章9節―14節 1.霊による知恵と理解 「どうか、〝霊〟によるあらゆる知恵と理解によって、神の御心を十分悟り、すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩み、あらゆる善い業を行って実を
続きを読むコロサイの信徒への手紙第1章3―6節 はじめに 編集長の石川光顕氏から雑誌『共助』に「聖書研究」の記事を依頼されたとき、すぐにはお返事できなかった。私のような門外漢に、十分な調査と学問的な議論はできないと思ったからであ
続きを読む雅歌の解釈をめぐる論考も最終回になりました。雅歌は知恵文学であるという私のテーゼによって雅歌を読み解く試みを、今回は具体的なテクストでやってみます。その前に、雅歌の文学的テクストと響き合う旧約の箇所に目を向けたいと思いま
続きを読む雅歌の解釈をめぐって考察をしてきました。いくつかの解釈を紹介しましたが、私自身の解釈についてそろそろきちんと書かなければなりません。連載の第一回目に多少、書きました。それは、雅歌が旧約の知恵文学であって、知恵の「謎解き」
続きを読む雅歌の解釈をめぐって考察をさらに続けます。今回はフィリス・トリブルの雅歌解釈を紹介します。フィリス・トリブルはフェミニスト神学者ですが、旧約聖書学者として大変優れた研究をしています。かつて日本に滞在して大学で教鞭を執った
続きを読む雅歌の解釈をめぐって考察を続けます。前回は、20世紀の神学者カール・バルトとゴルヴィツァーの雅歌解釈を紹介しました。雅歌は聖書学者だけが研究対象にするのではなく、組織神学者もまたこの書に挑むのです。雅歌はさまざまな神学的
続きを読む雅歌をどう解釈するかをめぐって考察をします。今回は第2回です。いきなり雅歌のテキスト解釈を始めるのではなく、雅歌がこれまでどう解釈されてきたかについて、もう少しじっくり考えてみたいと思います。そこで、20世紀最大の神学者
続きを読む1.はじめに 今回、共助誌に聖書研究の連載を依頼されました。6回の連載で何を扱うか、しばらくあれやこれや考えました。昨年末に聖書協会共同訳が発行されましたので、その翻訳をめぐって書いてみようかと思いました。しかし、聖書翻
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