今、森 有正が私たちに問いかけていること 片柳 榮一
〜京阪神修養会・主題講演 I 〜 序 森有正の著作に深く影響を受けながらも、その思想を正しく理解していなかったことに気付いた際、森有正の著作を読むことの怖さと辛さを再認識しました。特に、1970年11月の雑誌『展望』に掲
続きを読む〜京阪神修養会・主題講演 I 〜 序 森有正の著作に深く影響を受けながらも、その思想を正しく理解していなかったことに気付いた際、森有正の著作を読むことの怖さと辛さを再認識しました。特に、1970年11月の雑誌『展望』に掲
続きを読む〜京阪神修養会・主題講演II〜 はじめに 1957年11月、54歳のラインホルト・シュナイダー(1903‐1958)はヴィーンを訪れ4か月滞在した。そこでの経験をつづった手記が彼の死後『ヴィーンの冬』という表題で出版され
続きを読む主題講演 エレミヤという預言者について語るということが如何に大それたことであるかに、あらためて気づかされ、口ごもりをおぼえています。エレミヤは旧約の代表的預言者であり、また極めて激動した時代に最も悲劇的な生涯を送った預言
続きを読む目次 Ⅰ 戦後日本 Ⅱ 私は何を問題にしてきたか Ⅲ 「責任」について Ⅳ 戦後ドイツ Ⅴ 植民地責任 Ⅵ 未来に向けて おわりに《3つの文章》 2004年に一度、共助会にお招きいただき、話を聞いていただいたことがありま
続きを読む序 自分がアウグスティヌスを研究しようと決意した切っ掛けについてまずお話ししておきたいと思います。私は高校の頃から、パスカルやキルケゴールを読みかじっていて、大学に入ってからも、武藤一雄先生のもとでキルケゴールやそれに先
続きを読むマタイによる福音書22章34― 40節 「お前にとっての森 明」を語れ。 飯島信委員長からそう問われたのが、今年の四月半ば。もう九〇年近く前に三六歳の若さで死んだ一人の病弱の牧師。いったい、私に語れる森 明があるのか。森
続きを読む1 奥田先生の生い立ちと森 明との出会い 奥田先生は1902年に、父奥田義人(東京市長、法学者)、母はや、兄一人、姉4人、弟一人の7人兄弟の6番目に生まれました。初等科より高等科まで学習院に学び、秩父宮の学友でした。 奥
続きを読む1.はじめに:夏期信仰修養会(後半)で、李仁夏(インハ)先生のお働きを発題することを求められました。私は李 仁夏先生にお目にかかったことがないので、李 仁夏先生が歩みを振り返って書かれた『歴史の狭間を生きる』(日本キリス
続きを読む【主題講演】ヨハネによる福音書14章1~14節 私はこの3月に44年間奉職したキリスト教学校の聖学院中学校高等学校を卒業(定年退職)いたしました。1975年に英語科専任教員としてスタートし、学年主任(12年)、高等部長(
続きを読む【誌上 一日研修会 講演1】 初めての異国生活 釜山から飛び立ってすぐのこと。大韓民国と日本はこんなに近かったかと驚いた。福岡に降り立ち山口宇部へと導かれる。ま た驚いたのは山川が茂って見え綺麗だった。町の看板
続きを読む【誌上 一日研修会 講演2】 ・はじめに この執筆のテーマが、私の歩みということですが、当時には私だけの特別な経験のように思われたことも、今振り返ってみると、形は違っても誰もが辿って来たことのように思われます
続きを読む【誌上 一日研修会 講演3】 「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(コリントの信徒への手紙二12章9節) 私は1990年にはじめた日本での生活をかえりみて、出会いに導かれ日々支えら
続きを読む【誌上 京阪神修養会 講演2】 一 はじめに 基督教共助会100周年記念 戦前版『共助』誌選集『恐れるな、小さき群れよ』の刊行の辞を、飯島信委員長はルカによる福音書12章32節を引用した後、信州美ケ
続きを読む【誌上 京阪神修養会 講演3】 井川 満さんの尽力による『奥田成孝先生共助誌掲載記事選集「一筋の道」を辿る』の文章をあらためて読み返してみて、森 明との出会いについて語り、森の要請に応えて京
続きを読む一 始めに ここ数年、京都共助会月例会では奥田成孝先生の説教集『一筋の道を辿りて』を読んで参りました。読む毎に汲めども尽きない泉のようで、京都の片隅に貯められた「水瓶」の生命の水を味わう恵みを頂くことが出来ました。その読
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