私の証し(誌友)関根美鈴
20代の時、1年間のアメリカ滞在を契機に、私の聖書への関心が与えられました。当時は歯科衛生士としても自分の目標であった口腔衛生や予防歯科を日本の歯科診療で実現させたいと思っていたのです。滞在先のウィスコンシン州のマディソ
続きを読む20代の時、1年間のアメリカ滞在を契機に、私の聖書への関心が与えられました。当時は歯科衛生士としても自分の目標であった口腔衛生や予防歯科を日本の歯科診療で実現させたいと思っていたのです。滞在先のウィスコンシン州のマディソ
続きを読む私が教会へ毎週通うようになって50年になります。母方の祖父母や親戚にクリスチャンが多くいましたので、母はその時は、まだ洗礼は受けていませんでしたが、私を新潟市の東中通教会の特別伝道集会やクリスマスのキャンドルサービスに小
続きを読む★1 三浦邦雄[会員] 好きなみ言葉はルカ10:27、マルコ12:30―31、マタイ22:37―39の箇所でいずれも同じですが、「心を尽くし、精神を尽くし、あなたの神である主を愛しなさい」の第一の掟は、神様は何時も私を愛
続きを読むはじめに ミッションスクールでの聖書との出会い 自己紹介を兼ねて、まず、わたしがどのようにしてクリスチャンになり、その後、現在いるシンガポールで日本語教会の牧師をするに至ったかを簡単に紹介させていただきます。それは、わた
続きを読む3月で、83歳になりました。生まれは中国の満州で、今現在まで、本当に不思議な神のご計画の中で、様々な経験をさせていただきながら、召されるまでのもう少しの時間を、感謝と共に過ごしております。朝は5時半に起き、6時30分のT
続きを読む昨年は編集委員会の企画として、読者のみなさまから、愛誦聖句、愛唱賛美歌とそれにまつわる文章を募集いたしました。 お一人おひとりの信仰の糧として味わい深く感謝いたします。 ★1 関根美鈴[誌友] 「患難は忍耐を生みだし、
続きを読むマタイによる福音書 第20章1-16節 気象予報に、朝鮮半島や中国大陸の地図が映しだされると、雲の動きなどを見ながら、妻子とともに蒙古伝道に献身し、殉教された沢崎堅造と『熱河宣教の記録』などにある妻、良子姉の手記の貴重さ
続きを読む昨年(2020年)4月に横浜港に入った大型旅客クルーズ船を発端として日本中に新型コロナという疫病が蔓延した。それは世界中を駆け巡り現在も収束せずに潜伏している状態である。何か「ノアの洪水」を想い起こさせるような出来事だと
続きを読む私が聖書に出会ったのは1965年に長岡高専に入学した年です。内村鑑三の著書を通してキリスト教に出会い、内村鑑三やその流れをくむ三谷隆正、矢内原忠雄の著作とともに聖書を学びました。一方、授業ではギリシア文字を用いる数学、物
続きを読む【早天礼拝】おはようございます。昨晩の自己紹介でも触れましたが、私は山形県にあります基督教独立学園高等学校の教師をしています。3年前から教頭という役職に就きました。共助会の集いに参加するのは今回が3回目です。1回目は20
続きを読む共助会と出会って早10年、一昨年12月の久我山教会で入会を認められ、一年半を過ぎました。昨年3月に、45年間の長きに渡った母校での教員生活が終わり、ようやく自分と向き合う時間が得られるようになり省みたところ、6つの変曲点
続きを読む【誌上 一日研修会 証し】 誌上一日研修会に招かれている幸いな者です。顔と顔を合わせる喜びも大きいですが、顔と顔を思い浮かべる静かな喜びも大きいです。飯島委員長をはじめ、共助誌、共助会に連なる方々、韓国におられる兄弟姉妹
続きを読む皆さま、お久しぶりです。皆さまはお変わりなくお過ごしでしょうか。 私は今、富山の実家にて家族と共に日々を過ごしております。私は通常でしたら、京都市立芸術大学に京都の下宿から通っているはずでした。しかし、新型コロナウイルス
続きを読む小笠原亮一先生が、神に召されてから今年で10年になります。私の人生を振り返って、私に影響を与えた人は2、3人いますが、小笠原亮一先生は、決定的に影響を与えた方です。小笠原先生の一言で私は牧師になりました。先生に教えて頂い
続きを読む日本の傀儡国家「満州国」の首都、新京に生を享けて、今日、北アルプスを眺める松本での暮らしは、12年目に入りました。新家庭を茨城県高萩市でスタートしてから13回の引っ越し、ここが終の棲家であって欲しいと思っています。敗戦後
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