今、この時代への応答
新型コロナウイルスの影響により、私達は自宅で礼拝を守っています。キリスト教共助会では共助会に所属する牧師・会員による説教を掲載してまいります。

「アッバ、父よ」説教:片柳 榮一
■2020年6月7日(日)聖霊降臨節第2主日 ■ロマ書 8章12―16節 昨週はペンテコステの礼拝でしたが、最初のキリスト者を全世界へと向かわせたのは、聖霊の経験であることは、多くの研究者もいうように、疑いありません。確
共助会の活動
イエスとサマリアの女 和田健彦
ヨハネによる福音書4章1~42節 改定され読みやすくなった森 明著作集に載っている「イエスとサマリアの女」の話を読んだ。この短い話は知ってはいたが、いくつか現実離れしたところが感じられて、深い意味があると思いながらもその
雑誌「共助」から
キリスト教共助会が刊行する雑誌「共助」をご存じですか? ここでは雑誌「共助」のご紹介と共に、毎号掲載される"巻頭言"や、掲載内容などをご紹介いたします。

同時代を読むことの困難について─奥田先生との立ち話から 田中 邦夫
昔の北白川教会の、畳の間と板の間を仕切る柱に手をやりながらぼんやり外を眺めていると、奥田先生が近づいて来られて、やがて森 明の話になった。晩年の植村正久について森 明が「先生でももう時代が読めなくなっている」という話で、
説教

葬りのための香油注ぎ 片柳榮一
(マルコによる福音書 第14章3-9節) 今年はイースターが4月4日の日曜日で、今週から受難節に入るということですので、べタニアでの香油注ぎの記事をとりあげて、受難節を覚えて語りたいと思います。 この記事は、珍しくマタイ
証し

佐久学舎2020 応答2 井川結希
皆さま、お久しぶりです。皆さまはお変わりなくお過ごしでしょうか。 私は今、富山の実家にて家族と共に日々を過ごしております。私は通常でしたら、京都市立芸術大学に京都の下宿から通っているはずでした。しかし、新型コロナウイルス
読書

出会いの証人として 牧野信次
福田佳也著『横糸のわざ―信仰と社会のはざまで』 本書は昨年1月27日に非売品として発行され、私もご挨拶と共に寄贈頂き有難いことでした。佳よし也や 氏は『共助』誌前号(11月発行)に「私の歩み―共助会と私」と題して社会人と
随想

佐久学舎2020 応答1 林織史
〔前号(2020第8号)において「佐久学舎聖書研究会」の取り組み報告を掲載しました。そこでは《呼びかけ・勧め文》として川田殖先生の文章のみしか載せられませんでした。 今号には、世話人と川田先生の《呼びかけ》に応答してくれ
心に残るメッセージ

【特集 クリスマスへの想い】
昨年は新型コロナウイルス感染予防のため、キリスト教共助会の夏期信仰修養会に引き続きクリスマス礼拝も集うことを中止いたしました。そして、『共助』誌上クリスマスとして会員、誌友の皆様から「クリスマスへの想い」を寄せて頂くこと
聖書研究

雅歌の解釈をめぐって(第六回 最終回)小友 聡
雅歌の解釈をめぐる論考も最終回になりました。雅歌は知恵文学であるという私のテーゼによって雅歌を読み解く試みを、今回は具体的なテクストでやってみます。その前に、雅歌の文学的テクストと響き合う旧約の箇所に目を向けたいと思いま
ひろば

《立川教会の「青年の夕べ」について》飯島 信
2020年6月から2021年3月までの期間、立川教会では毎月第4週の夕礼拝を「青年の夕べ」とすることを役員会に諮り、承認されました。当日は午後6時から自由に夕食(カレーやおでんなどの軽食)を取っていただき、費用は自由献金
提言

困難な信仰(7)―現代における信仰と社会科学―田中 邦夫
《神に対する信仰の問題、人間実存の自由の問題、社会的解放の実践の問題、すなわち神、個人、社会という三つの問題は、それぞれ相互に還元しえない固有の現実性を中核として含んでいる。それゆえ、それらはそれぞれの現実性にふさわしい
基督教共助会 創立100周年記念シンポジウム
第一回「教育の明日」を考える(2019・10・14・月祝) 〈主題〉 何が人を「人格」にするのか― 今、教育の担い手に求められていること―

【報告】「教育の明日」を考える 角田 秀明
プログラムの司会をさせていただきました。発題者は共助会員で私立学校校長をされていた安積力也さん、島根県にある愛真高校の新江進さん、山形県の独立学園から三島亮さん、日本聾話学校から鈴木実さんが立ってくださいました。また、午