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信仰の基本に堅く立つこと(2002年1月) 尾崎 風伍

 21世紀の初頭を飾るはずであった2001年は、9月11日の同時多発テロによって底知れぬ 不安と悲惨の暗雲でおおわれてしまった。報復戦争や炭疽菌テロなど、世界中が不安と疑心暗鬼と憎しみを増幅する悪循環に陥った感がある。世界全人類がいまだかつて経験したことのない事態のもとで私たちは2002年を迎える。

 けれども旧約の歴史においても、たとえば南ユダ王国アハズ王の時代にアラム・エフライム連合軍がエルサレムに攻め上ってきた時は「王の心も民の心も、森の木々が風に揺れ動くように動揺した」のであるが、神は預言者イザヤを通 して「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない」と言われた。実に、神を信頼していかなる困難な事態にも動かされず、落ち着いて静かにしていることこそが求められている。これは思考と活動の停止を命じられたのではない。神に対する信頼という肝心かなめの一点の動かされないことが大切なのである。

 それならば私たちは、この時代のさまざまな動きに対していかなる判断を下しいかに処すべきか。その基本を主イエスは「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている」と要約された。そして十字架の死に赴かれた。また主は弟子たちに「自分の十字架を背負ってわたしに従いなさい」と命じられた。この主キリストのお言葉に聞いて従うところに私たちの信仰の基本がある。自分の十字架を背負ってキリストに従い、平和を実現する道を行くことは、兵士として戦場に赴くよりもずっと厳しいことである。昨今よく耳にする原理主義(ファンダメンタリズム)。信仰の基本を重んじる主義のように聞こえるが実際は違う。外の世界との交渉も少なく歴史の文脈も見ない視野狭窄の中で、正義は自分たちだけにあると思い込んでいる。私たちはその道を取らず、この時代と世界とを広く展望して、人々の生活や文化の種々相と切り結ぶ現実の中で、いかにして神の御心が実現されるのか、生死の工夫をこらす。