感想

感想  M・S

 共助会の集まりに、初めて参加した。浪江伝道所で洗礼を受けて一か月、いつも飯島先生からいただく『共助』誌に、キリスト教共助会の集まりの案内が挟まっていて、飯島先生のお仲間にごあいさつ~という軽い気持ちで参加した。

 そんな私に、今回の「第二次世界大戦での日本の加害責任」というテーマはいささか重すぎた。教科書に載らない、誰からも教わらない歴史を、経験した人の言葉を聞くこと。私自身の経験や知識をはるかに上回る、大人たちの記憶を継承すること。私は、戦争の歴史を直視するのを「怖いから」という理由でずっと避けてきた。私たちの世代に、私の家の近くで起きたことではないから。遠い昔に、どこかで起きたこと。それが悲惨なことであっても、私の責任ではない。その上隠されてきたことなのに、どうして今の私が知る責任・考える責任・和解する責任を問われなきゃいけないのか、過去から積み残してきた問題は戦争だけじゃなくて、社会の仕組みも構造悪も、全部過去からの積み残しで、解決へのモチベーションだってみんなばらばらだ。それなのに、私たちは反省しなきゃいけない。自分たちの上の世代がしたことについて。

 飯島先生や浪江伝道所と出会って、福島の持つ記憶とくびきを、ともに背負いたいと願うようになった。世界から痛みを取り除きたい、平和をつくりたいという願いとともに、私の中にはまだ、卑怯で臆病な考えがある。

 今の自分がしていることが、果たしてよいことなのか悪いことなのか。悪くしようなんて思ってないのに、誰も心からそんなこと望んでいないはずなのに、よくなっているものなんて何一つないように見える。こんな世の中で、キリスト者としての「すべてよいことの材料だ」という希望を持って生きていくこと。ときに、神に対して「なぜ」と怒り、問うこと。現在はつねに迷いの中で、今が持つ意味は、未来にならないとわからない。

(日本基督教団浪江伝道所・国際基督教大学3年)