分科会

「戦後何十年」が持つ意味  江村 悠子

 和田健彦さんの全体に向けてのお話は戦後のご自身の信仰の歩みが中心であったため、分科会では、共助会の集会に初めて参加する方々にも満州での経験を分かち合っていただけないかと司会者から提案しました。和田さんは快く引き受けてくださり、共助誌2025年第7号の寄稿の内容に沿って、そのご経験と幼少期に抱いた率直な想いを丁寧に語ってくださいました。

 和田さんの分かち合いの後、各参加者の応答の中で、今でも強い印象が残っている言葉があります。20歳前後の参加者の、「戦後80年という言葉は、自分が発するのと、戦後80年間をずっと生きてこられた方が発するのとでは、意味が大きく異なる」という主旨の言葉です。私は33年間生きてきて、「戦後何十年」という言葉をそのように意識したことがありませんでした。戦争経験者の方々は、単に80年前の戦争を経験したというだけでなく、そこから今日までの80年の歴史をずっと歩んでこられたのだと初めて意識しました。その時、分科会で語り合っていた和田さんや石川光顕さんの人生が、私には決して想像できない深みと重みを持っていることに気付かされました。

 それは私自身にとっての「戦後何十年」を省みるきっかけとなりました。私が「戦後何十年」を初めて強く意識したのは戦後70年の2015年でした。その年、安全保障関連法案に抗議するデモに何度も足を運びました。同い年の青年が「戦後70年間、日本は戦争をしてこなかった。80年、90年、100年経っても、日本は戦争をしてこなかったと、『戦後』だと言いたい」とスピーチしていたと記憶しています。だから、2025年の夏に私が感じたのは「今年を少なくとも『戦後80年』として迎えられた」という安堵でした。一方、その安堵感は無邪気に享受すべきものではないということも今は分かります。世界の多くの地域で今日も行われている虐殺と抑圧に、日本の有権者である私が加担している現実を突き付けられているからです。戦後何十年も後に生まれた世代として、日本の「戦後」を絶やさず、また本当の意味で戦争をしない国を築くため、信仰に基づいて抵抗を続ける決意を新たにする時となりました。

 (アジア学院職員 日本基督教団 桐生東部教会員)