分科会B報告 角田 秀明
[池田麻梨子、内田文二、片柳榮一、中村きよみ、角田秀明]
分科会の前に、「私と戦争」のテーマで、和田健彦さん、下山田誠子さん、内田文二さんから体験談を伺いました。今回の分科会では、内田文二さんや中村きよみさんからご自身の戦争体験を伺うことができました。自分の戦争体験を話したがらない人が多い中で、共助会の方々が戦争を知らない世代のために自らの体験を語って下さる貴重な機会となりました。
太平洋戦争が始まった翌年に中学に入学した内田さんは、最初の2年間は授業が行われたが、1942年のミッドウエー海戦、ガダルカナル、アッツ島玉砕と敗戦が続き、中学3年生になった時は、学徒動員で、京浜工業地帯の軍需工場へ派遣され、授業は全く受けられませんでした。1945年に硫黄島が占領されてからB―29による爆撃が始まり、3月10日の東京大空襲があり、一夜にして10万人の民間人が犠牲となったのです。そして、8月6日に広島、9日に長崎に原爆が投下されました。
分科会では、東京大空襲や広島、長崎の原爆は、米国としては戦争の犠牲者をこれ以上出さないための早期終戦を目的として正当化しているが、明らかに民間人の殺傷を意図したもので、民間人の殺傷を違法とする国際法(ジュネーブ協定)に違反しているのではないか、と意見が出ました。当時、数十万の民間人殺傷および後遺症を引き起こす恐れのある原爆使用について反対する政治家や科学者が少なからずいたにも拘らずトルーマン大統領は原爆投下を決断したのです。トルーマン大統領の決断の根拠は、民間人の犠牲よりもソ連の対日参戦による日本本土の領土確保を阻止するためであったことが後年わかってきています。ちなみに、広島原爆が8月6日、ソ連参戦が8月8日、長崎原爆が8月9日であったことから、ソ連の日本領土の占領を阻止するために長崎原爆を実行したことがわかります。
一方、日本は大東亜共栄圏の大義名分のもと、フィリピンのいわゆる「バターン死の行進」、シンガポールはじめ東南アジア諸国において多大な苦しみや加害を与えてきました。戦争は加害者にもなり被害者にもなりうることを思わされます。
(日本バプテスト浦和キリスト教会員)
