戦後70年を顧みる―改めて、「キリストのほか自由独立」を心に刻む(2015年6号)〜石川光顕
私は、1945年6月生まれ、戦後民主教育の中で育てられたといえる。父は熱心な仏教徒の家に生まれ、毎朝祖母 から教えられて念仏を唱えるのが日課であったという。
しかし青年期、内村鑑三の本に心を砕かれ、1923年の関東大震災を目の当たりにして大きく転換し、イエス・キリストの福音に生きる決意をした。
そんな我が家では、毎月家庭集会を持ち、「主の祈り」を大きい声で唱える幼少年期を私は過ごした。そして旗日(祝日)には門の外に「日の丸」が掲げられ、天皇が来るというので、小学校で揃って日の丸を振って、桐生駅近くの沿道 で出迎えた経験が私の原風景である。また同時に、政府の「勤務評定」という安易な教員の管理体制作りに対する反対 闘争で、座り込みの先生たちがいて〝誰もが平等な学級作り〟を実践されていたのもまた、原風景である。
学生時代は、寮という学生運動の拠点で生活し、社会主義国や共産主義国への展望があった。そして学生生活の最後 に「佐久学舎」に出会った。そこでの強烈な印象は、祈り合うことの凄さ・素晴らしさであった。それから50年近く、 教会と共助会を軸として、教育現場で生きてきた。この間、保守化の流れは徐々に大きく勢いを増して来ている。そして昨年の7月1日の「集団的自衛権の閣議決定」を皮切りに濁流のように、日本が戦争できる国へと目に見える形で舵 を切って来ている。それらを受けて今年の夏期信仰修養会では、沖縄・福島・在日問題等の報告を受け、私たちが平和 に向けて何が出来るのかの示唆を受けた(詳細は次号の特集に待つ)。
9月に入り「安保法案」の疑惑が広がる一方であり、国会を取り巻く行動から各地でのデモなど実に多様に大きなう ねりとなっている。反対運動の精神は、憲法前文にあるように〝恒久の平和を念願〟し〝国際社会において名誉ある地 位を占めるため〟には、武力ではなく”平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼した話し合い〟であると思う。
しかし問題は、「安保法案」だけではなく、「労働者派遣法」や「マイナンバー制度の導入」を初め経済・福祉・教育 などに及び、一人ひとりの人格を全く無視した「一元的管理」を政府は国民に課していることにある。
今70歳の我が身を省みて、如何に生きるかを問われている。その問いに『基督教共助会90年―資料編』が大き く示唆してくれた。そこには共助会に連なる先達たちが、その時代にどうキリスト者として真摯に向かい合って生きた かの証言の歴史があり、キリスト者として常に〝自由〟の捉え直しと、再確認がある。私も迫られている。