巻頭言

主は大いなる方 ― 詩編147 編から想う ― 金 美淑 

2021年のクリスマスを迎える時となった。

恐ろしいことに1年8か月もこの世を覆っているコロナの闇の中で、私は自分の明朗な声を発することができず、人の明るい声も聞くことができず、さらに自分の声を自分の中に埋め込み、閉じ込めて来たような思いがした。言いたいことをはっきり言い、歌いたい歌を大きく歌う、この自然な感情を抑圧させられた1年8か月の間、私は自分の表現力や伝達力、何より共感力というものが同時に劣って来てしまったような、コミュニケーションの危機を痛感せざるを得なかった。神によって造られ、あるべき場所にある天体のものや自然、動植物、それが突然、窓辺から入ってきたショウリョウバッタであれ、9月やっと一輪の花を咲かせた季節外れのヒマワリであれ、それらは与えられた時間と空間の中で神の秩序を守り、必死に命を生き、声を出し、存在感を消してはいなかった。ところが、鼻高い、も季節外れの自分は、自然な生き方ができ

ず、心には不安がこもり、神を見上げる心眼が曇り、何より行いの手と足が不自由になってしまった。その大きな理由がパンデミックというどうしようもない状況であるとはいえ、自分を表現し、ありのままの自分で生きて行きたいと願う思いは募るばかりであった。

生きとし生ける物の神は、何でもおできになる方である。この世のすべてのものをお造りになり、さらに、それにとどまらず、全ての被造物の上にお座りになり、仰せによる御業と御力を今日も見させてくださる大いなる方である。その大いなる方は、しかし、不自然なこの世を黙過せずにはおられない。歴史的に神は、経済的な不自然さに苦しんでいた者、健康的な不自然さにあざ笑われていた者、敬虔な者たちの不自然な祈りに耐えていた者、不自然な奴隷の海を渡らせ、焼け落ちたエルサレムの城門を建て直し、小さな者がもっと小さくなっていく不自然な歴史の悪臭に我慢できない方であった。神は今もコロナという不自然さに耐え、涙を呑みこみながら一日一日その自然さに従おうとする者、闇の上から朝を送らせ、雨、雪、霜、氷などを降らせてくださる方を畏れ、その慈しみを待ち望んでいる者を放っておくわけにはいかない。不自然な自分の声も、神が憐れみの御言葉を遣わし、息を吹きかけられれば、不安は溶け、賛美の水となって流れることであろう。神によって造られた者の自然な喜びを神は声高く賛美できるようにしてくださるであろう。声高らかに賛美できないこの世の

闇、私たちの心の闇、その心の痙攣を神は必ず癒し、その傷を包んでくださることを今日の詩編を通して学ばせていただいた。長引くコロナの夜において童謡詩人、金子みすゞは「このみち」という作品の中から明るい朝を賛美している

(本文31頁に掲載)。                                      (日本基督教団 青森教会員)