佐久学舎2020 応答1 林織史
〔前号(2020第8号)において「佐久学舎聖書研究会」の取り組み報告を掲載しました。そこでは《呼びかけ・勧め文》として川田殖先生の文章のみしか載せられませんでした。 今号には、世話人と川田先生の《呼びかけ》に応答してくれ
Read more〔前号(2020第8号)において「佐久学舎聖書研究会」の取り組み報告を掲載しました。そこでは《呼びかけ・勧め文》として川田殖先生の文章のみしか載せられませんでした。 今号には、世話人と川田先生の《呼びかけ》に応答してくれ
Read more今年4月に大阪から、神奈川県海老名市にある海老名教会に赴任しました。コロナ禍の中での移動でした。振り返ってみると、9年前の東北から大阪への転任の時も、東日本大震災・津波に遭い、その後片付けも終わってない状態での転任でした
Read more私は信徒ではありませんが、生前、父ならびに母(昭和63年に他界)が長く共助会の皆様に御助力と御厚誼を頂きましたこと、あらためて、ここに故人に代り、御礼申し上げます。 今回、父の著作物の巻末や講演、寄稿記事等を基に略歴を纏
Read more佐伯邦男さんが7月4日、入所しておられた旭川の介護施設で亡くなられたとの報せが蜷川文子さんから届きました。入所後の消息を案じておりましたが、天の父のもとへ凱旋されたことと信じ、主よりの慰めと平安をお祈りしています。 佐伯
Read more佐伯兄は私より一回り以上先輩ですが、読書会を中心に親しくしていただきました。ご自分の信仰生活の原点について、2年にも満たなかった北白川教会での生活についてよく語られていました。「昭和22年の晩秋、あるアルバイトの関係で奥
Read more佐伯邦男さんが旭川で召天されたことを伺い、心から哀悼の意を表します。佐伯さんに初めて逢ったのが、1980年頃であったが、私が町田市鶴川で開拓伝道を信仰の友人たちと共に始め、新会堂で礼拝を守り、鶴川北教会として若々しく地域
Read more【追悼 山本俊樹氏】 山本俊樹(としき)兄が急逝された。俊樹兄は私の学生時代からの畏友であるが、共助会には比較的最近入会されたので直接にご存知の方は多くはない。しかし共助の主にある友でもあるので、まず略歴を掲げておこう
Read more【誌上夏期信仰修養会 早天礼拝】 2020年の2月頃から、日本いや世界に猛威を振るった新型コロナウィルス。それは有無も言わせず広がり、人間の安全という言葉を根底からくつがえした。私が今、この文章を書いているのは
Read more一 尾崎風伍先生と呼ぶべきであろうが、多年兄けい事じ してきた敬愛の思いをこめてのさん付けで記すことを許されたい。 尾崎さんと私とのはじめての出会いは1962年、箱根で開かれた共助会夏期信仰修養会においてであっ
Read more1987年という年は、井草教会にとって、また久我山教会の前身であった元阿佐谷東教会のグループにとって大いなる転換と試練の年であった。信仰上の理由から母教会を離れたこのグループ(もう一つ同様の理由で母教会を離れたグループが
Read more本日は、お忙しい中、父のためにこのようにお集まり頂きましてありがとうございます。こうして、本城先生の司式のもとに告別式を無事に終えることが出来ました。 また、式の中では、心温まる弔辞をいただき、本当にありがとうございまし
Read more主婦としての立場から何か話すように頼まれまして、非常に困っております。と申しますのは、主婦と申しましてもまことに不甲斐ない主婦だからです。 それで特に主婦としてというわけではありませんが、去年の9月に私共の養子としてベト
Read moreこの夏、尾崎亜紀さんが風伍先生のご容態をお知らせくださった頃、私は母を訪問してくださった中渋谷教会員の松坂様ご夫妻から、昔の写真を見せて頂く時を得ました。その中に、一昔前の中渋谷教会前で撮った集合写真がありました。 19
Read more尾崎風伍・マリ子両先生は、1965年10月に戸塚から海老名に引越して来られました。その12月19日に御自宅で近隣の子どもたちを集め、「こひつじ会」と呼称された子ども会を始められました。そして翌年「こひつじ会」が中渋谷教会
Read more熱海の「海の見える病院」を初めてお見舞いに訪れたのは9月3日でした。共助会の友と共に、亜紀さんに伴われてのことでした。 病床の尾崎さんは、私たちが訪れたことをお分かりになった様子で、呼びかけの声に、時に涙を流しておられま
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