道[表紙絵に添えて]和田健彦
知り合いのお年寄りが、ウクライナの惨状をTVで見ながら、可哀そうで涙が止まらない。同じ神様を信じる国なのに、何故紛争が終わらないのかと悲しまれていた。その様な中で、『熱河宣教の記録』や『北白川教会50年史』に先の大戦時に
続きを読む知り合いのお年寄りが、ウクライナの惨状をTVで見ながら、可哀そうで涙が止まらない。同じ神様を信じる国なのに、何故紛争が終わらないのかと悲しまれていた。その様な中で、『熱河宣教の記録』や『北白川教会50年史』に先の大戦時に
続きを読む何か共助誌に、久しぶりに文章を投稿できないかと思い立ち、聖書など、あれこれと読んでいた。私の父、小笠原亮一は、「旧約聖書では第二イザヤ、福音書ではルカ伝、パウロ書簡ではフィリピ書」を特に愛読していた。 第二イザヤはBC6
続きを読む奥田義孝兄が去る4月9日に僅か一か月足らずの入院で心不全とのことで召天され、14日に中渋谷教会でコロナ禍にあっても本城仰太牧師の司式の許に葬儀式が行われた。彼自身が準備したであろう式次第の故人略歴を以下に記します。 故人
続きを読む1 ウクライナ侵攻の報に接して 2月24 日にロシアがウクライナに侵攻を始めたと報じられた時、五十年以上昔1968年のソ連のチェコへの侵入のことがありありと思い出されました。それ以前にも1956年のハンガリー動
続きを読む2021年12月17日(金)、13時からサントリーホール ブルーローズで「クリスマス・オルゴールコンサート」が開催された。私は、共助会の友である大阪の林 貞子さんのお誘いを受け、ワクワクして参加させていただいた。オルゴー
続きを読む2021年4月20 日(火)の「朝日新聞」朝刊第2面「ひと」の欄に、「20年以上、元米兵捕虜と交流を続ける」と題して伊吹由歌子さんの記事が写真入りで掲載された。良い紹介記事であった。伊吹さんは、バターンの死の行
続きを読む一 まえがき 私の「干支」は「丑うし」なので今年の誕生日が来ると8回目の年男になり、12年×8回=96の計算では満96歳を迎えます。 二 共助会との出会い とその前後 (1)私の誕生前後(1925年 大正14年) その昔
続きを読む【寄稿】日本聾話学校『100周年記念文集』原稿(1991年―2000年 在職) 「日聾の教育が目指すものは、聴覚障がい児の〝人間解放〟です」。大嶋 功校長は、事あるごとに、私にそう言われた。「だから、
続きを読む〔前号(2020第8号)において「佐久学舎聖書研究会」の取り組み報告を掲載しました。そこでは《呼びかけ・勧め文》として川田殖先生の文章のみしか載せられませんでした。 今号には、世話人と川田先生の《呼びかけ》に応答してくれ
続きを読む今年4月に大阪から、神奈川県海老名市にある海老名教会に赴任しました。コロナ禍の中での移動でした。振り返ってみると、9年前の東北から大阪への転任の時も、東日本大震災・津波に遭い、その後片付けも終わってない状態での転任でした
続きを読む私は信徒ではありませんが、生前、父ならびに母(昭和63年に他界)が長く共助会の皆様に御助力と御厚誼を頂きましたこと、あらためて、ここに故人に代り、御礼申し上げます。 今回、父の著作物の巻末や講演、寄稿記事等を基に略歴を纏
続きを読む佐伯邦男さんが7月4日、入所しておられた旭川の介護施設で亡くなられたとの報せが蜷川文子さんから届きました。入所後の消息を案じておりましたが、天の父のもとへ凱旋されたことと信じ、主よりの慰めと平安をお祈りしています。 佐伯
続きを読む佐伯兄は私より一回り以上先輩ですが、読書会を中心に親しくしていただきました。ご自分の信仰生活の原点について、2年にも満たなかった北白川教会での生活についてよく語られていました。「昭和22年の晩秋、あるアルバイトの関係で奥
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