戦後80年シリーズ

人生に、たった一つの日の思い出    丹羽 望

 この課題を与えられてしばし考え込んだ。ボクの場合、有るとすれば、「非戦・平和」を自らの生き方として決意したとき。しかしそれは、一日、一時のことではない!

 昭和20年8月15日、前夜からの秋田土崎への大空襲。防空壕から這い出た寝ぼけ頭に、天皇陛下の声は、か細く悲しくひびいた。内容はよく分からないまま、戦争が終わったということはわかった。

 次の日から始まった教科書の墨塗り! ただ、軍国教育を受けていたボクには「日本は負けていない」「戦争の大義は間違っていない」との想いがあった。

 翌21年、いわゆる東京裁判が始まり、占領植民地での日本軍の行動実態が報じられる。なかでも、「南京事件」の実相は衝撃的。無抵抗の非戦闘員を多数虐殺していたことが明らかにされた。

 これは国民学校で教わった「アジアは友邦」の価値観、弱きをたすける「武士道精神」とも反するもの。「あ、このとき既に、道義において日本は敗れていたのだ!」と実感した。

 戦時指導者への断罪は、自分についても同じこと。「加害者」の立場で考えることが求められた。シュヴァイツァーの影響もあり、つぐないのため、将来、中国において医療者として働くことが目標となった。

 1953(昭和28)年秋、ICU生として、香港からの留学生と寮で同室となった。彼は、「ぼく達の中には、親族を南京で殺された者がいる。このことは決して忘れないし、忘れられない。しかし赦すことはできるし、赦さなければ生きてゆけない。それがぼくにとってキリスト教信仰だと思い、日本に来た」「戦争が長びいていたら、ぼくたちは こんな平和な学び舎ではなく戦場で、おたがい武器を手に対峙していたことだろう」と言った。

 その時は一言も返すことができなかったが、これまで彼の言葉を忘れたことはない。平和な環境で学ぶことの重みや、平和のために何ができるかについて考えさせられることになった。

 医師にはなれなかったが、今日、非戦・平和を叫ぶ原点はここにある。この祈り・志は、これらの日々に醸成されたものだ。     (日本基督教団 無任所教師)