巻頭言

神と魂  山本 精一

「あなたは私たちをあなたに向けて創られましたので、私たちの魂はあなたのうちに憩うまで、不安なままです。」(『告白』第一巻第一章)

今回の京阪神修養会の主題は、「魂のことをする―今アウグスティヌスに学ぶ」であった。「魂のことをする」とは、オウム真理教事件を題材にして書かれた大江健三郎の小説『宙返り』のなかの一節、「教会とは魂のことをするところ」に由来する。そう前置きされて、主題講演は始まった。その主題講演の任を負ってくださったのは、長年アウグスティヌス研究に打ち込んでこられた片柳榮一氏であった。氏は、アウグスティヌスの生涯にわたる魂の遍歴の要所要所を押さえつつ、遂には回心とともに神へと向かって行ったアウグスティヌスの燃えるような探求的魂の内奥へと、さながら聞く者の手を取るようにして導いてくださった。

アウグスティヌスは、彼そして彼の時代に影響を及ぼした有力な思潮と真っ向から対峙しつつ、何にもまして、自らの魂に真の確かさと平安=憩いをもたらす真理を求めて苦闘=探求し続けた。そのことを深く教えられたことだった。その探求は、何よりも、真理に餓かつえて彷さ まよ 徨い続ける自身の魂の根源的「不安」と密接不離のものであった。初めに掲げた『告白』冒頭の一節は、その消息を時を超えてひたすらに伝えている。

この言葉を、私は、学生時代に、奥田成しげたか孝先生の礼拝説教のなかで初めて聞いた。その時の感動は、この言葉を呻くが如く語る先生の御姿とともに、心のうちに深く刻まれている。そのとき以来数年間、「門前の小僧習わぬ経を読む」よろしく、この箇所の原文を月毎のカレンダー冒頭に書き込み続けた。やがて暗記する一文となっていった。しかし今回、その言葉から、新たな問いかけを受けたとの感を深くしている。

ここでアウグスティヌスは、「私の魂」とは言わず、「私たちの魂」と言っている。この「私たちの魂」の核心部には、アウグスティヌスの生身の「私の魂」が息づいている。しかしそれは、ただ「私の」魂だけでは終わってはいない。同時代の、いや人類史的規模での「私たちの」魂に連接している。戦争と分断とフェイクとによって切り裂かれたこの時代のなかで、神に向かうアウグスティヌスの永遠の響きを湛えたこの一句、そこに記された「私たち」という言葉の重みを、この時代の破れのなかで受けとめ直すこと。そのことを内心深く問われた二日間であった。

(日本基督教団 北白川教会員)