静かにして恐れるな―吉田山祈祷会に初めて参加して― 牧野 信次
「彼に言いなさい。気をつけて、静かにしていなさい。恐れてはならない。」(イザヤ書7章4節前半、聖書協会共同訳)
「2018年度基督教共助会京阪神修養会」に久しぶりに参加し、それぞれの任を負われた4人の信仰の友等に深い感謝を捧げる思いに満たされた。今年共助会創立100年を迎えるにあたり、主題を念頭に置きながら、改めて創立者森明が提起した「自然と人間との関係」更には「文化対宗教(キリスト教)の関係」の課題を共助会が長い間ずっと担い続けてきていることを再認識させられた。旧約聖書とそこにあるイスラエル宗教は砂漠での神ヤハウェとの契約と律法の結びつきを明確にし、カナンと呼ばれる沃地(文化)に入ることによって農業と祭儀、部族連合と王国(神殿国家)等の対文化の問題に直面せざるをえなかった。神の民はそのような歩みを通してイスラエルの神が自然の主であると共に歴史の主であることを認識する。そこには預言者達に代表されるイスラエル民族の血みどろな歴史的苦闘があり、敗北と捕囚という民族全体の苦難の経験がある。けれどもその神の民はこのような沃地文化との対決に1先ず敗れたが、その闘いを通して益々歴史的信仰の意義を自覚し、人類の新しい歴史を創造することに参与したのである(関根正雄『イスラエル宗教文化史』参照)。
修養会2日目の23日朝の吉田山祈祷会に初めて飯島信委員長、佐伯勲副委員長の3人で参加した。祈りの場所は頂上より少し下ったところにある広場で、直ぐ下に京都大学、その向こうに京都市街が1望できた。学園祭のスピーカーの音が微かに聞こえ、暫く前の強風で樹々が少し倒れていた。共助会創立100年の歩みを感謝し、新年度計画の良き実りを共に祈った。私は後に今は亡き奥田成孝先生がその「京大共助会の成立について」(『共助』1926〔大正15〕年4月25日発行 森明氏記念号)で次のようにお書きになっていたことを確認した。1924(大正13)年6月14日夜、祈祷会で東京から2人の友を迎えて、京都に同志5人をもって京都共助会が生まれ、「翌朝吉田山に早天祈祷会を開き、共に讃美し、共に祈り、かくて我等は人数に於いては少けれども、主イエスと其の十字架とに対しては飽くまで忠節を守り、この地に於いて良き信仰生活をなさんとの願ひにみちて別れ、夏の休みを迎へたのでありました」と記されました。
それ以来94年間、奥田先生に続く小笠原亮一、佐伯勲の北白川教会の任を担う先生方、共に歩んだ同志達の深い祈りを想う。危機の時代に我が子を抱いて王に叫んだ「静かにして恐れるな」のに、メシア(救い主)預言を終末的な希望として告知した預言者イザヤに学びたい。