「基督教共助会」創立100周年記念シンポジウム

【報告】「教育の明日」を考える 角田 秀明

プログラムの司会をさせていただきました。発題者は共助会員で私立学校校長をされていた安積力也さん、島根県にある愛真高校の新江進さん、山形県の独立学園から三島亮さん、日本聾話学校から鈴木実さんが立ってくださいました。また、午前中のそれぞれの発題に対する応答者として、共助会員の中から

アジア学院校長・荒川朋子さん、東京神学大学教授、中村町教会牧師・小友聡さん、立川教会牧師・飯島信さんが立ってくださいました。今回はシンポジウムという形式でプログラムが組まれました。

 

【発題】《主題》何が人を「人格」にするのか

最初に安積力也さんが、教育基本法の教育の目的に掲げられている「教育は、人格の完成を目指し……」の部分を引用し、人材の育成から「人格」の育成に焦点を向ける教育の営みについての発題をされました。教育は「他者」への命がけの「関心」を向けていく仕事であり、文字通り「心を関わらせる」ことであり、祈りなくして教育はあり得ないということを痛感されたと述べられていました。そして、「人格」は「人格」に出会って初めて目覚めるものであ

り、教育の業は「共同性」の中で行われるものであり、大人はその中に立つことを赦されている存在という自覚が起こされるのだと語られました。

新江 進さんからはキリスト教教育の現場において、他者との出会いを通して己の破れを示される経験を語られました。

破れはてた「私」との出会いが起こされ、他者の人格によって照らし出される「私」があり、今、赦されて、ありのままの「私」を生きているだろうかと自らに問うておられました。

また、三島 亮さんから、独立学園では、労働の時間、自然に感動する環境、そして礼拝の中で、一人自分と向き合う時間があり、感話の時間には全校の前に一人立って、自分の思いを述べる機会があって、これらは学園の特色として守り続けたいと思っているとうかがいました。寮生活の中で生徒とも一対一で向き合う場面が多く与えられ、人と人の関わりが起こされています。

鈴木 実さんからは「想いと、ことばと、行いと」と題して発題がなされました。ことばは人間関係の中で育まれるもので、子どもは共感を土台とした人間関係を築く中で、「想いを聴く」「想いを話す」という経験を通して、自分の心にあった「ことば」と出会い、自分の想いで会話することで自分の言葉を育てていくと話されました。共に心を開いて「想いを聞きたい」「想いを伝えたい」という気持ちが育まれることで、ともに生きる歩みが始まるのです。

午後の指定応答者による応答

荒川朋子さんからアジア学院での教育についてお話しいただきました。土の上で謙遜に平等に農作業をする中で、海外の学生と人格と人格が平等に向き合える幸い。学生と1対24の校長と学生の対話の集会をもち、この対話の後で新しい人間関係が出来たという報告がなされました。リーダーは自らの弱さをさらけ出せる雰囲気を作り出せるかが問われていると投げかけられました。

小友 聡さんからは、人材(代替可能)と人格(人間の尊厳)の関係から、「私」というかけがえのない存在は、弱さや欠けがあるにも拘らず神から赦されている存在。人を人格にするのは出会いであり、神からのcalling ではないかと述べられました。

飯島 信さんは31年間の教師生活から、4人の発題に対する応答としてコメントされました。発題の中で感じたことは、

①人を人格にするのは他者との出会いであり、己の破れを示してくれたこと。

②自然に感動する心、環境も人格を形成するうえで重要な要素であること。

③限りない人格完成へのあこがれをもって生徒の前に立たせられたと思っていること。

その後、4つの分団に分かれて分かち合いを行いました。

(聖学院中学校・高等学校校長)