証し

自分との和解 大栁 由紀子

【早天礼拝・奨励2】

私は現在、栃木県のアジア学院に勤めています。

東京都墨田区出身の下町っ子、同居する祖母は典型的な日本の伝統的宗教で家には神棚と仏壇があり、両親の世代は無宗教、そんな家庭にそだちました。5歳から10歳まで大阪にいたのですが、そのころふとしたきっかけで教会学校に行っていたのが神様との出会いでした。でも引っ越しで新しい場所はどこに教会があるのかもわからず、導く大人も周りにはおらず、神様のことは信じていたもののそのまま教会からは離れていきました。

大学生となり、農業を学び、卒業後に青年海外協力隊に参加、南太平洋にある小さな島国、サモアに赴任しました。そこは100%クリスチャンという国。英語をもっと学びたいというやや不純な動機で教会の英語礼拝に出るようになりました。そこで礼拝への参加を続けているうちに、いろいろと神様について考えることが多くなりました。その教会では毎月の聖餐式で、かならず Amazing Grace を歌います。私はただ何となく歌っていただけだったのですが、ある日ふと、歌詞の意味をちゃんと知りたい、と思いました。

「Amazing Grace, how sweet the sound, that saved a wretchlike me,(アメイジング・グレイス、なんと甘い響きだろう、私のような弱い者を救ってくれた) I once was lost but now am found,was blind but now I see (私は一度失ったけれども、今また見出された、かつては見えなかったけれども今は見える)」 ああ、私のことだ。その瞬間、洗礼を受けることを決めました。

サモアには2年半いました。任期が半年残っていたものの体調を崩し、体の痛みで動けなくなり、日本に緊急移送で帰国しました。原因不明のまま半年ほど寝たきりの生活がつづき、ふと行った鍼灸院で名医と出会い、回復して今に至ります。

回復後、友人からアジア学院の話を聞き、そこだと思いました。彼女の洗礼牧師であった在日大韓基督教会川崎教会の李仁夏先生に会い、学院につないでいただき、2001年にボランティアとなり、翌年の2002年から職員としてずっと働いています。

現校長の荒川朋子さんから何度もこの共助会のことを聞いていて、今回初めて修養会に参加させていただくことになりました。その時に「朝の奨励で話してほしい」と言われ、何を話そうかと思っていたところ、テーマが「赦しと和解」であると知り、すぐに頭に浮かんだのが「自分との和解」でした。

アジア学院は不思議な場所です。開会礼拝で荒川校長が学院の成り立ち、フードライフ、土からの平和などを話しているので、そのあたりは割愛しす。

学院は、様々な国の人々が共に暮らし、共に働いています。モットーは「共に生きるために」。最初の年だったと思います。何人かで「共に生きる」と「共に暮らす」の違いはなんだろう、という話になりました。私たちの結論は、「同じ場所である期間を過ごしていくのが共に暮らすこと、でも互いに目をむけ、心を向けて初めて『共に生きる』になるのではないか」ということでした。

この言葉の深さ、重さに打ちのめされたのはその数年後。仲の良かった学生がいたのですが、母国にいる婚約者が事故で亡くなったという知らせを受けました。泣き崩れる彼女に、私ができるのはただ隣にいることだけ。それ以上のことはできないけれど、ただひたすらそばにいました。そして自分に問いかけ続けました。「共に生きる、ってなんだろう」。

今までの人生において、私自身も様々な「赦しと和解」の場に直面してきました。小学生のころから日本の侵略と加害責任について興味をもち、区立図書館にある戦争に関する歴史の本を、片端から読んで読破しました。中学二年以来の親友は在日コリアン3世で、彼女は多くの差別に直面し、しかもその大切な友人を傷つけているのは私自身の国で。私の国が彼女の国侵略し植民地支配し、この問題を引き起こしている。私は憤り、差別問題を自分事として生きてきました。

学院に来てからは内戦で敵対する民族同士がクラスメートとなり、やがて親友となっていく姿がありました。28歳ですでに6度の内戦を経験し、「13歳で初めて銃をもった」と語る今年の学生はとても穏やかな人で、平和と和解のための団体で活動をしています。人生で3回、村を民族紛争で焼かれた人は、紛争解決と平和構築のために今も働いています。家族を戦争で亡くした人もいます。そもそもアジア学院の成り立ちが、日本の侵略に対する戦争責任とその和解のために設立されています。学生たちから日本の侵略の被害の歴史と、日本に対する赦しと和解について聞くことも多々あります。

そんな中で、また人と人との心の距離の近いこのコミュニティで、私が一番苦しんだのは自分自身を見つめなおさざるを得ないこと、自分自身との関係性だったのです。

私は学院生活2年目からは女子寮を出て、学外で生活をしています。それでも朝から晩までずっと皆と一緒に居て、仕事をして、授業をして、農作業も食事も共にするという生活を送っています。学生たちにとっては、あるいはボランティアの皆にとっては、学院が生活基盤のすべてです。そこでは、人と人との心の距離が嫌が応でも近くなります。体調が悪ければ、あるいは何か思い悩むことがあれば、すぐに互いにわかります。つらいことがあれば話を聞くし、楽しいことがあれば共に喜びます。そこにはもちろん近しい人とそうでない人はいますが、職員やボランティア、学生の別はあまりありません。私たちは役割も年齢も経験も違うけれども、国も文化も言葉も違うけれども、平等な関係性を築こうと努力を重ねています。何かあれば話してほしい、つらいことも分かち合って。ここではみんな家族なんだから。何度も繰り返される言葉。コーチングや傾聴、非暴力コミュニケーションを学び、カウンセリングを学び、できてもできなくても共にあることを選択しつづけました。なにより多くの時間を学生たちといることを心がけます。でもそこで私が大きく躓いたのは、自分自身と向き合うことでした。

自分が何を成して何を避けているか、何を考え何を口に出しているか、どんな他人よりも自分自身が一番知っています。偉そうなことを口にし、サーバントリーダーシップを奨励し、自分のことを話してと人には言い、泣いてもいいんだよと慰め、心を開いてと伝えても、自分はどうなのか。それが、私が最初の数年、いやおそらく10年以上、最も悩んだことでした。認めてほしくて、でもみんなが認めてくれている自分は自分じゃないとも思っていて、そんな立派な人間ではないとおびえ、頼りにしてほしいから仕事にのめりこんで、自分を見つめなおすことが怖いから沈黙をいやがる。問い続けたのは「私はここにいてもいいですか」ということ。こういう気持ちを話せなかったわけではないです。何人にも話しそのたびにそのまま受け止めてもらえているのに、自分自身が受け入れられていない。自分との和解、それが私がずっとずっとできないでいることです。

マタイによる福音書22章39節にこうあります。

「第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』」

隣人を自分のように愛する。隣人は愛せるけれど、自分を愛していないのに、自分のように愛するとはどうすればいいのか。

ヨハネの手紙一4章19︲21節にこうあります。

「わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。神を愛していると言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です。」

わかってはいるのです。神様が愛してくださって、家族が大きな愛をそそいで育ててくれて、友人たちが愛をもって受け入れてくれる。なぜ私は私と和解できないのか。

コリントの信徒への手紙二12章9節

「すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」

マタイによる福音書6章34節

「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

ヨハネの手紙1 3章19︲20節

「これによって、わたしたちは自分が真理に属していることを知り、神の御前で安心できます、心に責められることがあろうとも。神は、わたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じだからです。」

アジア学院という、自分の弱さをさらけ出してなお受け止めてもらえる、そんなコミュニティに暮らしまた働きながら、少しずつ自分との和解を進めています。

(アジア学院 副校長)