はじめに 荒川 朋子
『共助』で「アジア学院小特集」を組んでくださると聞き、とてもうれしく思ったものの、その理由を聞かずに引き受けてしまったことに後から気が付きました。
私が共助会に入会させていただいたのは2016年ですが、それより以前にアジア学院と共助会の直接的なつながりがあったのかどうかはわかりません。例えば、(知らないだけかもしれませんが)アジア学院の職員の中に共助会員がいたとか、雑誌『共助』を学院の図書室などで見たということもありませんでした。しかし、間接的にはアジア学院はその始まりから多くのキリスト教会と信徒に支えられ、ICUや基督教独立学園などのキリスト教関連校のいくつかとは大変深いつながりをもって歩んできましたので、そういった関係性の中で、共助会の長い歴史のどこかで「アジア学院」の名前は記憶されていたかもしれません。
実際には、アジア学院と共助会はなぜこれまで直接的な接点がなかったのだろうと不思議に思うほど多くの共通点があります。共助会の皆さんが大切にし、関心をもっておられる課題や問題はアジア学院でも多くの人が関心を寄せていますし、教派や国境を越えて友情を育む風土(アジア学院はキリスト教以外の方もお迎えしますが、キリスト教徒が大多数)もまた大変似通っています。ですから、『共助』の読者の皆さんがアジア学院に強い興味と関心を持ってくださるだろうと思われたことが「小特集」を組む理由なのではないかと推測していますし、またそれが間違いでないことを期待しています。
アジア学院については、すでに何度か『共助』に書かせていただいており、特に2020年第6号(10月発行)の2020年夏期信仰修養会特集号には、「私をアジア学院に引き付けるもの」と題して、5頁に亘ってアジア学院について詳しく書かせていただいています。そこで、今回は複数の関係者の協力を得ながら、これまで紹介していなかったことを中心に以下のような構成で書かせていただくことにしました。特に、私たちは多くの試練を乗り越えてきたアジア学院の学生たちの説教や証しに心を強く打たれることが多々あるので、ひとりの卒業生の説教もその中に含めました。
この小特集を通じて「主の御名によってアジアの農村地域の人々のために仕える」というアジア学院の根本方針をさらに深くご理解いただき、同時に世界の農村に住む人々、特にキリストの信徒の思いと課題とを身近に引き寄せて、共にお祈りに覚えていただけましたら幸いです。
(アジア学院校長)