ひろば

フィンランド紀行2  フィンランドに心惹かれて  E.O.

しんしんと雪が降っている。とはいえ、まだ11月初日だ。IKEAで買った安物の薄い毛布にくるまりながら、ゆらゆらと湯気がたっているコーヒーをすする。そうしてパソコン をカタカタと打ちながら、ゆったりと流れていく朝のこの時間が好きだ。フィンランドに来てからもうすぐで3か月になる。前回のフィンランド紀行第1回目では、なぜ交換留学をしようと思ったのか、そしてなぜフィンランドを渡航先に選んだのかについて書かせていただいた。そのため、フィンランドでの生活についてあまり詳しく触れることができなかった。だから今回は、フィンランドで暮らしていて「あ、これいいな」と感じたことを一つ一つ記録することができたら、と考えを巡らせつつ、今パソコンの前に座っている。

まず頭に思い浮かんだのは、フィンランドに到着した初日のことだ。空港から電車に乗った後、VRと呼ばれる日本の新幹線のような乗り物に乗るときのことだ。ホームがどこか分からず右往左往していると、駅員さんの方からこちらに寄ってきて声をかけてくれたのだ。そして私が事前に買っておいたチケットを見せるとホームへの行き方を教えてくれ、「あと15分もあるから大丈夫だよ」と声かけまでしてくれた。

しかし、一安心して無事ホームにつくことができたのは良いが、今度は電車のナンバーを確認せず、ホームに停まっていたVRにそのまま乗ってしまい、それが買っておいたチケットと違う便だったことに気付いたのは既に発車してしまった後だった。どこに連れていかれるのかもわからず、スマホで調べようにもフィンランドのSIMカードをまだ入れ替えていなかったのでそれもできず、焦って隣に立っていた方に助けを求めた。すると、その方は困惑しながらも自身のスマホで調べ、このVRの最終停留場で降りれば、乗るはずだったVRも同じ駅で停車するはずだと教えてくれた。おかげで私は無事乗るはずだったVRに乗り換えることができ、目的地のタンペレに行くことができた。

さらには駅に降り立った時のこと、なぜだか動いていないエスカレーターの前でスーツケース2つを抱え立ち往生していた私に、前を歩いていた方が振り返って「手伝おうか?」と声をかけてくれ、スーツケースを一つもって下まで降りてくれた。私の住む東京では、多くの人が急ぎ足で通り過ぎていくため、助けを求めるのが難しいと感じることが多い。それに加え、「誰かに頼らずに自分で何とかするべきだ」という個人主義的な考えもあり、人に助けてもらうのは良くない、他人に迷惑になるから自分でどうにかしなければ、という思いが強かった。しかし、フィンランド初日にして、3人もの人々に快く助けてもらい、「誰かに助けを求めてもいいのだ」とホッと胸が温かくなる感覚がしたのを今でも覚えている。こんな風に感じられる場所は誰にとっても居心地が良いのではないだろうか。

フィンランドでの生活がスタートしてからも「いいな」と思うところはこれだけではなく他にもたくさんあった。例えば、自転車と歩行者のエリアが分かれており、両者に十分なスペースが設けられているところだ。私は日本で自転車を使うことが多いのだが、自転車用の道路が設けられているところがあっても、途切れ途切れで且つ狭い為に不便だと感じることが多かった。だから、歩行者と自転車の両方が安全に通行できる道路の分け方に感動してしまった。

また、ジェンダー関連でいえば、日本では電車内やホーム、YouTube などで際限なく見かけるムダ毛処理や全身脱毛を薦める広告を一度も見かけていない。体毛は体の一部で、私たちの体のことは私たちが自分で決めるべきだと思う。だが、社会的に女性が体毛を処理していなければ、「身だしなみに気を使っていない」「怠けている」というようなレッテルを張られてしまうことがしばしばある。そういったプレッシャーがフィンランドではないように思った。それだけではなく、女性が性的に表象されているポスターなどもほとんど見かけない。調べてみたところ、フィンランドでは広告やメディアにおける表現の適切 さや差別的表現がないなどを規制する法律とそれを管理する機関が設けられているためでもあるそうである。

さらに、トラム(路面電車)やバスにはベビーカーやお年寄り、車椅子の方用の広いスペースがあり、それらの人々が乗車してくると皆がサッと席を立って場所を譲る様子も印象的だ。日本でも、見られない光景ではないが、特にベビーカーに関しては電車内にそれ用の大きなスペースがなく、混みあうと使用することが難しいだろうといつも思う。それに、ベビーカーを押した人が乗ってくると迷惑そうな顔をする人も少なくないように感じるため、これにも私は感動させられた。

スーパーでは月経用のグッズが非常に豊富で、オーガニックのものから出血量に応じた大きさが少しずつ異なるものまで商品が揃っている。驚いたことに、男性用や性別に関係なく使えるパッドも売られており、さまざまな人のニーズに沿った用品が簡単に手に入る 環境が整っている点も素晴らしいと感じた。

またもう一つ、フィンランドの教育に関していえば、先月フィンランド学校(日本でいう小中高)を大学の授業の一環として見学する機会に恵まれた。そこで全体的に強く感じたのは、先生から生徒へのトップダウン的な教育ではなく、生徒の主体性が尊重されるような教育がなされているということである。 例えば、小学生の英語の授業を見学しに行ったとき、その日はたまたま皆で映画を見ることになっていた。すると驚いたことに、子どもたちが自由に友達と集まって床や机に座りお菓子を食べながら、まるで家にいるかのような雰囲気で映画を楽しんでいたことだ。これがもし日本の一般の学校ならば、先生は映画を途中で止め、お説教モードに入っただろうし、そもそもこのようなことは一切認めないだろうと思う。だがその先生は、生徒の態度や姿勢を特に気にする様子もなく、むしろその場の自由な空気を認め、安心して学べる環境をつくっているようだった。

このようなことは、高校の美術の授業でも見られた。先生は詳細な指示を与えることなく、生徒たちが思い思いに創作活動に集中しているのを見守っていた。もちろん質問やサポートが必要な場合であれば先生はきちんと対応していたが、基本は生徒に任せるスタイルで生徒それぞれが自分のペースでやりたいことを取り組める環境がそこにはあった。数学や英語などでも宿題はほとんど課されず、授業内でレポートを書いたりする時間が確保されているなど、生徒の負担を軽減しつつも学びを深めることができるような仕組みになっていると感じた。

さらに面白かったのはハロウィンの日に、学校全体が賑やかに飾り付けられ、先生たちが猫や魔女、さらには(何の仮装かよくわからなかったので)顔が緑の何かに仮装していたことだ。生徒たち以上に先生たちが盛り上がっている様子で、先生も生徒と一緒に行事を楽しむ姿勢が、先生/生徒のような堅苦しい垣根を壊しているようで良いと思った。このような教育環境が、生徒が自分らしく過ごせる安心感や主体性を育むのだと思う。そこでは「正しい答え」を求めてテストで高得点を取ることが目的の勉強ではなく、むしろ間違いつつも生徒の興味関心に沿った学びを後押しするような環境があるように感じた。「こんな小学校、中学校に通ってみたかったなぁ」とつぶやくと、隣にいた友達が「本当にそう!」と頷いてくれたのが何だか嬉しかった。

フィンランドに来てからは、日本にいた時よりも日々の生活を豊かにそして単純に楽しめているような気がする。もちろん、たまにはっきりとした理由もなく気分が落ち込む瞬間がないわけではない。だがそんな時は、少し自分を奮い立たせてアパートから徒歩10分ほどの位置にあるスーパーまで歩いて行ってみる。そうして、おいしそうなパンがずらりと並ぶショウウィンドウの前で今日の気分のパンはどれかと考えを巡らせるのはささやかながらも楽しい時間だ。定番のシナモンロールもいいし、中にラズベリーのジャムが入ったドーナツもいい。だがもし、そうしていても気分が晴れなかったら、近くにあるセコンドハンドのお店を訪ねて、掘り出し物がないかどうかをチェックしに行くのもいい。寒さが身に染みてどうにもならない時には、アパートの地下に設置されているサウナをその場で予約する。心を静めたいときには、近くの湖にいってとりあえずぼんやりと水面を眺めるのも落ち着く。最近、将来への不安や「何か自分が役にたつことをしなければ」という観念にとらわれすぎていたかもしれない。それらも大切なことではあるが、今、ここで学んでいること、そしてフィンランドの暮らしを楽しむことも同じくらい大切だと思い直している。日々の小さな発見や幸せを味わい、一瞬一瞬を大切にすることの大切さを、ここでの生活で学んでいるように思う。なんだか、前回書いたことと矛盾するようではあるが……。ぐるぐるととりとめのない思考にとらわれそうになった時は、やはり温かいコーヒーとシナモンロールが一番の慰めだ。コーヒーの香りとともにふんわりと香ってくるシナモンの香りでだんだんと心が落ち着いてくる。もう少し。もう少し、ゆっくり考えてみよう。そうしたら何か見えてくることを信じて。