巻頭言

暗闇に輝く光を見つめて 角田 芳子

私の属している教会では、今年のイースター後から旧約聖書を中心に教会学校での学びを続けている。創世記から始めて、代表的な箇所を学び合いイスラエルの歴史について、また時代は経ても、現在の社会でも通じる真実や人々の心情など、なるべく今の生活にひきつけて聖書を学ぶよう心がけている。礼拝前のこの教会学校には平均一八〇人くらいの人々が参加しているが、各クラス十五名ほどに分かれて教師・書記が担当している。私もその一クラスの教師を、もう一人の兄弟と担当させていただいているが、毎回新たな発見と喜びをいただいている。聖書を輪読し、教師が学びの骨子をレジュメで提示した後のグループトーキングが、大変面白いのである。そこでの話し合いはまことに自由で、全員が自分の考えを出し合う原則だが、言いたくない時は「パス」もあり、リラックスした雰囲気である。いつも時間が足りなくなる程、様々な意見が出、証がなされるこの場所は「分かち合いの場」と呼ばれている。

毎週このような学びを続けるうちに、この世に与えられた主イエス・キリストの存在が、ますます大きく感じられるようになって来た。アブラハム・イサク・ヤコブのそれぞれの人生(家族関係も含め)・士師時代に入りエフタとその一人娘の犠牲・サムソン……と学ぶうちに全人類の罪を贖ってくださったイエス様の救いが与えられていることが、なんとこの上ない恵みであることかと一人ひとりは実感するのである。動物を犠牲とすることを通してしか、近づくことさえできなかった神の絶対性、旧約時代をほんの少し味わったゆえにしみじみ感じる。

そして、今年もイエス・キリストのご降誕を覚える時を迎えている。残忍な性格の王ヘロデの支配のもと、人々は息をひそめるように生きていたことであろう。主イエスの家畜小屋でのご誕生、それが今の私たちの救いへつながっているとは何と感謝であろうか。そして、何と壮大な神様のご計画であろうか!

エリサベツは聖霊に満たされ、声高く叫んで言った、「あなたは女の中で祝福された方、あなたの胎の実も祝福されています。」(ルカ一41― 42)

私も、エリサベツと同じように、神のみ名を称え、賛美します。アーメン