沖縄で見る歪曲と錯誤の「社会意識」〜金(キム) 永(ヨン) 秀(ス)

 

はじめに

「うるせーんだよ、このチョーセン人! おまえなんか、自分の国にかえれよ!」カリフォルニア留学中、土曜日のみ開校するサンホゼの「日本人学校」に息子を通わせていた時のことである。米国生まれ(日系二世?)のクラスメートYから、私の息子に浴びせかけられた言葉である。後に、彼女も家族も、よく知る日系教会に通っていた事を知って愕然とした。在日コリアンは、多くの差別的意識を含んだ言葉を浴びせられて育つ。その代表的な言葉が、この表現である。近年、ヘイトスピーチ参加者達が同類の表現を公然と、しかもより醜悪にして声高に主張して問題視されている。私達は、個人的あるいは非公式的にどれだけ長きにわたり浴びせられ続けてきたことだろうか。これらの言葉は、鋭く私達の心に突き刺さり、打ちのめし、私達の存在そのものを否定してきた。

この類の言葉は、これを発する者が属する共同体・社会の歪んだ意識や歴史意識を凝縮している。かつてのNHKの意識調査結果に、朝鮮人・韓国人について「臭い」「汚い」「ずるい」というものがあった。この意識調査に沿うかのように、「在日」のある女性は「挑戦する」というフレーズを聞いても冷や汗を流し、授業の間の時間には必ず手を洗う。自分の「臭」「汚」を洗浄するためである。又、自分の手を匂うという動作を繰り返す。彼女は自己否定を妄想するようになる。「自分は実は日本人なのだが、朝鮮人の家に養女となった」。鬱病になって引きこもるが、在日の仲間に出会うことによって自己回復を果たすことが出来た。

被差別者が自分自身を取り戻す作業は、極めて困難で長い道のりを要することが多い。社会的に常識となる歪められた意識、思想、そして言葉に心が支配されるからである。「何故朝鮮人が日本にいるのか」という、単純ながら刃のように心を切り裂く問いは、歴史や法律や文化や人間そのものを歪める挑戦的問いである。植民地支配の本質を知り、何故自分の家族が日本に来なければならなかったのか、住み続けなければならなかったのか、その歴史的状況と経緯を学び、日本国憲法、天皇、外国人登録令、サンフランシスコ講和条約等の意味が、日本の学校教育のそれとは違った意味をもつ事に気づかなければ、私達自身が自己の本質を見失い錯誤の中に生きなければならない。沖縄に十五年、同種の人間を解放する「何か」を得る必要性が、沖縄の学生達にもあることを感じている。

大江健三郎氏が『沖縄ノート』を書くにあたって、何故自分が沖縄に行くのか、その理由を自身に問いながらこのようなことを綴っている。

沖縄とそこに住む人間とに対する本土の日本人の観察と批評の積み重ねには、まことに大量の、意識的、無意識的とをとわぬ恥知らずな歪曲と錯誤とがある。それは沖縄への差別であることにちがいはないが、それにもまして、日本人の最も厭らしい属性について自己宣伝するたぐいの、歪曲と錯誤である。もとより、その日本人の属性にかかわる歪曲と錯誤について、僕は自分がそれらから自由であるということはできない((ⅰ))。

沖縄で、多くの戦争経験者、皇民化教育を受け軍国意識に生きた人々を知った。その人々も又、日本の〈歪曲と錯誤〉をおこさせる意識を注入されて生きてきた経験をもつ。沖縄キリスト教学院の初代理事長・学長の仲里朝章牧師は、戦時中那覇商業学校(現商業高校)の校長として皇民化教育の担い手となった人である。首里士族出身の彼は、荒れ果てた首里を見てその復興の担い手たることを志す。東京帝国大学で学んだ彼は、教育者そしてキリスト者(現日本基督教団富士見町教会長老)となって帰郷、校長として「教育勅語」を教え、国のために死ぬことが男子の本懐と教えた。沖縄戦では、教え子を鉄血勤皇隊として、三女を「ひめゆり」の一人として戦場に送って失い、自らも重傷を負う。戦後、教師を辞めて牧師となった。沖縄キリスト教学院は、仲里牧師が牧会する沖縄キリスト教団首里教会(日本基督教団)を校舎として設立された。そして、〈ウソの教育〉を悔い、〈殺す教育ではなく、キリストにある生かす教育〉が目指されたのである。

三代目学長は、渡嘉敷での「集団強制死」を中学生の時に経験した金城重明牧師である。金城牧師の『「集団自決」を心に刻んで』から、当時の沖縄の若者達が皇民化教育を、いかに骨の髄まで注入されていたのかを知ることが出来る。

沖縄に対する〈歪曲と錯誤〉が沖縄の人々の心の中に植え込まれた時、人々は自らを滅ぼす「集団死」を選び、戦争のただ中に身を投じる教育をおこなった。このような意識の注入作業は、過去の出来事で終わるのではなく、程度の差こそあれ現在でもおこなわれている。特に沖縄の教育現場で思わされる。

 

歪曲と錯誤をもたらす報道

2015年10月24日(土)の朝、NHK週刊ニュースで辺野古新基地建設の経緯説明が放送された。このTVニュースは、伝えなければならない重要なことが抜け落ちており、解釈が付与されて、まさに歪曲と錯誤を起こさせるものであった。伝えるべきことを伝えないことにより、別の意味・意識が付与されることになる。当該ニュースは、翁長沖縄県知事の辺野古の新基地建設の「取り消し」と、国交省が当該措置を一時停止して、取り消さないようにとの「勧告」について、それまでの辺野古への新基地建設の経過を以下のように説明した。

①一九九六年、橋本龍太郎首相、モンデール日本大使との間で普天間基地を撤去することが合意。橋本首相が〈今後、五年から七年以内に〉普天間基地を移設撤去すると言明した映像が流される。

②基地の候補地が辺野古に決められた。

③「基地反対派」は県外を主張してデモが行われた。

④鳩山首相が〈少なくとも県外へ〉と公約で訴えて、民主党が政権与党として大勝した。

⑤しかし、〈学べば、学ぶほど〉沖縄に基地が必要であると言って、鳩山首相は公約を取り消した。

⑥仲井眞沖縄知事は〈裏切られた〉と怒りをあらわにする。

⑦民主党政権から第二次安倍政権に代わって、仲井眞知事、辺野古基地の調査申請を深夜に受け入れる。

⑧安倍政権からの一括交付金が約束された。

⑨辺野古新基地に反対する翁長氏が仲井眞知事を破って当選。辺野古の基地承認を「取り消し」

⑩国が翁長知事の取り消しの「停止」と「勧告」をした。

以上のNHK報道に間違ったところはない。しかし、〈歪曲と錯誤〉の報道であったと言わざるを得ない。真実が隠蔽され、曲解されたメッセージが発せられたからである。

(1)先ず、「少女暴行事件」を隠蔽したことが重大である。橋本首相とモンデール大使が基地移転についてSACO(普天間基地の移設)合意にいたらしめた理由は、その前年の一九九五年「少女暴行事件」が米軍普天間基地所属の三名の海兵隊員によって引き起こされたことによる。つまり、NHKはこの重大な原因を隠蔽した。沖縄の人々は激怒し、「人間の輪」をつくって普天間基地を取り囲んだ。米兵の性的暴行事件は、基地の島沖縄では稀なことではない。沖縄戦末期から、数えきれないくらい起ってきた。一九五五年の「由美子ちゃん事件」(六歳の少女の暴行殺人の末の死体遺棄)をはじめ、「少女暴行事件」はその象徴となった。沖縄において、女性の収奪は公然と行われてきた。〈戦後、夜、基地の消灯とともにわき上がるように基地から米兵達が出て来て村の女達を、それこそ老若関係なしに漁った。〉とは、基地と女性問題に詳しい人の説明である。又、米兵は、銃を突きつけて白昼堂々、夫婦一緒でも構わずに襲ったケースなど、常識をこえる痛みと怒りが蓄積されてきた((ⅱ))。

(2)次の隠蔽は、沖縄以外の基地移設を打診された他県との交渉についての報道である。沖縄県以外の県に対して普天間の移転先の基地移設の受け入れが一応打診されたが、打診された全ての県と地域は即座に拒否をし、国はそれ以上強要しなかった。つまり、形式上の交渉をしたが、沖縄の辺野古を選定してきた。そして、辺野古以外にないという結論を他県には見せない力で強要をし続けてきたのである。

(3)そして、報道は新たな呼称を付加することによって、その〈歪曲〉の度合いを高めている。NHKは、辺野古新基地に反対する人々を「基地反対派」と呼んだ。それは、基地に反対する人々があたかも普通の人々ではない、特殊集団であるかのような印象を与えている。しかし、実際に反対運動に参加している人々の多くは、特定の政治団体に属していない一般人である。沖縄では、新基地に反対する人の方が賛成する人よりもはるかに多い。このような特殊な呼称の付与によって、基地に反対する者達は異常な集団であるというレッテルを貼ったことになる。この付加表現は、ヘイトスピーチにおいて「在日」があたかも特権をもって、害毒を日本社会にもたらす存在であるとする〈歪曲と錯誤〉の言説に通底する。

 

歪曲と錯誤と学問

薩摩の琉球支配、明治の〈琉球処分〉は、沖縄(琉球)のアイデンティティーを変節させる言説を生み出す。伊波普猷(いばふゆう)は、「沖縄学の祖」と称されるが、彼もやはり、その影響を強く受けることになる。沖縄近代思想史研究は、大和より強いられた近代を沖縄人がいかに自らのものにしようとしたのかと問い、近代日本の中での沖縄の在り方をめぐる問いを主要な課題としてきたといえる。伊波普猷は、沖縄の言語、文化、歴史、民俗に関する学術的な研究を積み上げ、その沖縄学は沖縄人のアイデンティティーの学という側面をもち、日本の支配の中で生きざるを得ない沖縄人の自意識を支える学としての様相を呈した。その学問の基本的な枠組みは、「日琉同祖論」と「個性論」ということができる。日琉同祖論は、要するに琉球の先祖は日本から別れた同じルーツをもつというものである。これは、日本の中の沖縄を肯定する論拠を示すものでもあるが、他方においては、沖縄とヤマトとの文化的な同一性を主張することにより、一方的な沖縄分化の抑圧にあらがう論理ともなった((ⅲ))。すなわち、「多元的な」日本を想定することにより、その内部にあって沖縄の「個性」を発揮することを主張したのは確かである。しかし、その根本は、沖縄が日本の一部であることを基本にしているという点は外すことができない。伊波は「日鮮同祖論」との共通項を孕んだ論理を展開していくことになる。以下は、その一節である。

このグスクという言葉は、沖縄人がヤマト民族であるということを証する好材料となるのであります、朝鮮の古語では村のことをスキ、村主のことをスクリ(宿禰と同意義)と申します。この言葉は日本語にも這入って日本の位の名にもなっていたのでありますが、それと同意義の言葉が日本語では城と書いてシキと読んでおります。……然らば日本語でシキ朝鮮語でスキという事は一体どういう所を指してそういうたのであるかというと、高い所にあって石の壁で取り囲まれている所という意味であります。是らの名詞で、正鵠を得た判断ができるので、沖縄は敷島即ち日本の一部分であるという事は争うべからざる事実であります((ⅳ))。

これは、伊波の著書に載せられた金沢庄三郎の講演の引用である。金沢庄三郎は、東京帝国大学で伊波の先輩であり、一九二九年「日鮮同祖論」を発表したその人である。つまり、日本と朝鮮は同じ先祖であったということを、言語学的に証明しようとした先輩の論理を応用して、伊波は「日琉同祖論」を展開するが、上記の文章を結論付けるならば、朝鮮、琉球、日本が同祖であると言われていることになる。

一方で、伊波は日本文化の中の個性を主張することで、琉球の価値を見出そうとする。「各人がもっている所の個性は無双絶倫(ユニークネス)であります。即ち各人は神意を確実に且つ無双絶倫なる状に発現せる者であります。換言すれば各個人はこの宇宙にあって他人の到底占め得べからざる位置を有し、又他人によって重複し得らるべからざる状に神意を発現するものであります。」沖縄の個性が神からのものであるという主張は、伊波のキリスト教信仰の表出ともとれる一文である。同祖論と共に、個性論が示されているが、いずれにしても、被支配者としてのアイデンティティーに関する主張が、複雑に表現されていることは看過することが出来ない。沖縄と日本の異なる言語や文化を比較しながらも、支配と被支配の一環としての政治的側面を色濃く帯びている。日琉同祖論は、現在でも多くの人々の心に偏った形で棲んでいる思想である。日本に従属する沖縄の文化という図式を描く人々が多い中、やがて沖縄が〈本土〉に〈復帰〉するという錯誤的な論理に至る表現に絡まってくるのは自明のことである。

 

いわゆる「祖国復帰」と「本土並み」

一九七二年、沖縄の施政権が米国から日本に返還された。しかし、沖縄は日本全体の中で米軍基地問題を始め多くの意味で異質な存在であり、又、経済的水準等においても全国平均に遠く及ばないレヴェルにあり続けてきた。沖縄では〈せめてなりたや本土並 〉と言われた。これは「ヤマト」との経済格差を埋めて、豊かになりたいということを指すだけではなく、ヤマトと同じ程の米軍基地負担減を望む表現である。

一九六九年の日米首脳会談で、アメリカ軍のベトナム撤退を公約にしていたニクソン大統領が、ベトナム戦争の近年中の終結を視点に安保延長と引き換えに沖縄返還を約束した。「核抜き・本土並み」をうたい文句として、一九七二年米国は施政権を日本に返還した。人々はこの施政権の返還に伴い、平和憲法を持つ日本に属することによって米軍支配からの解放という悲願を達成できると考えた。しかし、復帰に賛成する県民の期待とは裏腹に、米軍基地は県内に維持されたままとなった。当時、復帰協(沖縄県祖国復帰協議会)は、「即時無条件全面返還」を求めた。具体的には、沖縄にある米軍基地をすべて撤去し、核兵器も引き揚げよという要求であった。しかし、「本土並み」の内実は人々の思いと大きく異なっていた。沖縄に配備されている核兵器は撤去されるものの、返還後の沖縄にも「本土並み」に日米安保条約を適用したのである。日米安保条約は、日本が米国に基地を提供することを取り決めた条約である。したがって、沖縄の米軍基地は引き続き存続されるということになったのである。「本土並み」という言葉のレトリックによって、あれほど望んだ米軍基地撤去への夢は霧散した。

「本土並み」の内実は、沖縄の特性を日本的なものに換えていくという事であり、平和憲法の示す基地のない沖縄を約束することとは異なっていた。これを象徴するのが、一九七八年七月三〇日午前六時に実施された、一斉交通ルールの変更である。これまでの人と車の通行方向が逆になり、日本の交通規制に合わせることからはじまる。これにより大きな混乱が生じた事は想像に難くない。いつのころからか、県庁の職員が日本政府の関係機関を「本省」と呼ぶようになる。政党のみならず、労働組合や宗教団体にいたるまでが「本土並み」という名の支配体制に組み込まれる事となる。沖縄社会党は社会党に、沖縄自民党は自民党に、沖縄人民党は共産党に吸収され、沖縄社会大衆党のみが独自の地域政党として存続することとなる。沖縄の労働団体を代表した全沖縄軍労働組合連合会(全軍労)も、七八年には全駐留軍労働組合(全駐労)の組織の中に取り込まれるようにして沖縄地区本部となる。このような政治動向と軌を一にして、沖縄キリスト教団もまた日本基督教団との「合同」の名のもとに吸収されて沖縄教区となった。この問題は、いまだに日本基督教団と沖縄教区の間のしこりとなり続けている。「日の丸・君が代」の強制の問題も、その実施率は言葉どおり「本土並み」になる。県民が最も望んだ米軍基地撤去についての結果は、二〇一二年現在、国土面積の約〇・六%しかない沖縄県内に在日米軍基地の約七五%が集中したままである。日本の一部である沖縄が、〈本土並み〉に政府の意向を受け入れなければならないという錯誤的論理のみが強調されるものとなっている。

 

おわりに

最後に、普天間基地の移設問題についてもう一度原点に戻って考えてみたい。政府は、普天間基地の被害をなくすための「唯一」の解決方法が辺野古に新基地を建設してそこに移設する事であると主張している。先に、基地移設問題の原因は一九九五年の少女暴行事件で、そのことが報道から抹殺されて米兵による女性被害が消された重大性を述べた。しかし、さらに私達の視野からかき消されている重大なことは、一九六六年には辺野古に米海軍新基地のための設計図と建設調査報告書が既に存在していたという事実である((ⅴ))。この事から、あの少女暴行事件とは一体何だったのかを問わざるを得ない。あの事件によってSACO合意がなされた。しかし、辺野古が「唯一」の移設先であることが事件の三〇年も前に決定していたとしたならば、あの少女の人生を狂わす犠牲は、今回の基地移転のきっかけではなく、新基地建設の為の「道具」にしか過ぎないということになる。「唯一」の解決を訴える政治的圧力が、ますます巨大なものとなっている。このような欺瞞の言葉の真意をしっかりと捉えなければならない。そして、沖縄の将来が〈歪曲と錯誤〉によって逸脱されることを許してはならない。

ⅰ大江健三郎 『沖縄ノート』岩波新書、17頁、2002年。

ⅱOkinawa Women Act Against Military Violence, 2010, Postwar U.S. Mi- litary Crime Against Women in Okinawa.参照。

ⅲ照屋信次 『近代沖縄教育と「沖縄人」意識の行方』渓水社、17頁、 2014年。

ⅳ伊波普猷 『古琉球』岩波文庫、58−59頁、2010年。

ⅴ前泊博盛 『沖縄と米軍基地』角川書店、50頁、2011年。