心に残るメッセージ

メモリアル大塚野百合―さんびの集い―に出席して 三田町子

大塚野百合さんが共助誌に書いておられる記事にいつも心惹かれ読ませていただいていましたが、実際に共助会の集会でお会いしたことは2回ほどだったと記憶しています。

お見えになると大きなよく通る声で、しっかりとご自分の意見をおっしゃっていて、あの方はどんな方かしら? と入会して間もなかった私は興味深く思っていました。

高齢になられ、共助会の集会に、なかなかお見えになれない大塚さんのところへ、こちらから訪問して交わりを深めようと、大塚さんのご都合の良い日(2018年6月頃)に、日本基督教団使徒教会で東京共助会例会を持ちました。ご高齢なので、お慰めしたいと思って同行させていただいた私を、

「よくいらっしゃいましたね」と大きな声でニコニコと出迎えて下さりすっかり圧倒されてしまいました。自己紹介をしたり悩みなど語ったりして、私がかえって大塚さんに励まされ元気づけられて帰ってきた覚えがあります。その時、子ども賛美歌の本を出版する運びになった(『子どもの賛美歌ものがたり』)ことを話してくださり、90歳を過ぎても、そういうお仕事を集中して成し遂げられるバイタリティーはどこから来るのだろう? と帰り道に考えたことでした。

昨年12月31日大塚さんが天に召されたことを聞きとても残念に思っていました。その後、新型コロナウイルス禍のため、出来なかった追悼の集いが9月12日土曜日、恵泉女学園フェローシップホールにて持たれる知らせが届き、参加させていただきました。

この集いでは、神様に感謝し生き生き語り教えておられた、在りし日の大塚さんを映像で観ることが出来、また教え子の方のお話を聞くという中でプログラムは進められました。特に印象的であったことは大塚さんの愛唱歌などを、全員で歌うことはできないので、歌い手、バイオリニスト、ピアニストの方々の奏でる音色を聴き、そこに込められた思いを共有させていただいたことです。

大塚さんは1924年、救世軍士官のご両親のもとに松本でお生まれになり、クリスチャンホームで育ち、小学3年生で受洗されました。父上がご病気で救世軍を退き、自給伝道を東京世田谷で始められました。大塚さんは父上の尊敬されていた河井道先生の恵泉女学園へ入学。東京女子大では英語を学び、その後早稲田大学文学部史学科卒業、米国クラーク大学大学院、イエール大学神学部研究員、恵泉女学園大学教授、昭和女子大学非常勤講師を歴任、恵泉女学園大学名誉教授と、幅広く学ばれた後、教師として活躍されました。第2次世界大戦の中での学生時代を、また戦後の厳しさの中での仕事も経験されています。恵泉女学園では多くの学生に英文学を教えられました。

定年を迎えるころ時間が出来たら讃美歌を研究したいと考え、讃美歌の原詩を調べるようになり、自分の知らないことを学んでいくことが本当に楽しいと述べておられます。神様への賛美の歌を作った人たちがどのような時にどのような気持ちで書いたのか、それをわかりやすく解説し、皆に知ってもらい、心を込めて賛美を共にしたいと沢山の讃美歌にまつわる物語を書いておられます。プログラムの思い出の映像のコーナーで、大塚さんが語っている言葉はやさしくわかりやすく親しみ深いものでした。

「讃美歌の作者たちが、深い祈りによってその一曲一曲を作っていたことを一人でも多くの方にお知らせしたい。神様は確かにおられます。イエス様は生きておられます。イエス様はあなたの友となってくださいます。このことを今、私がぜひ言わなくてはいけないことです」と、インタビューの終わりに述べておられました。プログラムの最後に使徒教会の国津信一牧師が祈られ、ご遺族代表で甥の大島力先生、そして妹の大塚和子さんのお話を伺い、参集者がそれぞれ大塚野百合さんの遺影に献花でお別れをしました。

95歳で天に召されるまで、いつも前向きに生きて来られた野百合さんは、神様に絶対の信頼を置き、ご自分は楽しみながら研究し、そのことを人々に伝え、励まし、真のキリスト者として歩んだ方だったと、改めてその姿に、教えられ励まされました。ご遺族の皆様の平安を心からお祈りします。

著書 『老いについて』『賛美歌・聖歌ものがたり』『賛美歌と大作曲家たち』『出会いものがたり』『ヘンリ・ナウエンのスピリチュアル・メッセージ』『主われを愛す・ものがたり』『きよしこの夜・物語』『スザンナ・ウェスレー物語』他多数

(日本基督教団 久我山教会員)