友情の回復  尹鍾倬ユンジョンタク

聖書:創世記33章17節~20節

主イエス・キリストにある友達の皆さん!

互いに遠く離れ、会えない寂しい思いをもっていた私たち が今日、韓国と日本の中間地点で会うことができてうれしく 思い、ありがたく思っております。

今回の集いを通して主にある友情と聖霊の交わりがより深 くなり、満たされる機会であればと思います。

皆さん! 聖書の中でコリント人への手紙1、13章13節 をお分かりでしょうか。「それゆえ、信仰と希望と愛、この三 つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛で ある」とあります。「愛」を考えるとき、「友情の回復」と言 い換えられます。即ち「信仰と、希望と、友情は、いつまで も残る」とも言えます。

箴言17章17節に「どのようなときにも、友を愛すれば 苦難のときの兄弟が生まれる」とあり、詩編133編1節に「見 よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」 とあります。

私たちが生きて行くこの世には日々、明るいニュースばか り聞こえているのではありません。銃犯罪、テロ、殺人、爆発、 戦争準備などの暗いニュースが聞こえています。

カインとアベル、エサウとヤコブの衝突も不和の連続の歴 史だったと言えるでしょう。私はこの時間を通してヤコブの 生涯を探りながら、厳しい冷たい冬が去り、暖かい春のよう な美しい友情の道を探してみたいと思います。なぜならそれ は私たちみんなが待ち望む幸せな日であるからです。

一つ目、友情回復の道はベテルの夢を仰いでみることです。 本当に、ヤコブは悪い人です。母の胎内から兄と先頭争いを しました。生まれる時も兄のかかとをつかんで生まれました。 長子の権利を取ろうと計画的に演出しました。しかもたった レンズ豆の煮物ひとつで。

父イサクが死ぬ前、祝福を与えましたが、その祝福も兄に 譲らず奪いました。エサウがヤコブを殺して恨みを晴らそう とするのを知った親はパダン・アラムにあるラバンのところ にヤコブを逃がしました。ヤコブは途中、日が沈んだので夜 を過ごそうと横になりました。

そこで驚くべき夢をみました。

聖地巡礼のとき、私もベテルに行ったことがあります。野 原に石がたくさんありましたが、どれがヤコブの枕の石なの か分かりませんでした。私もあちこちで石を枕にして横になっ た覚えがあります。  ヤコブの夢について解釈してみたいと思います。

この夢はヤコブの将来を決めるものになりました。

創世記28章を読んで見ると先端が天まで達する階段が 地に向かって伸びていました。それは新しく意思がかよった ということを意味します。神の御使いたちがそれを登ったり 下ったりしていたとあります。

皆さんにお聞きします。

神の御使いたちが上ったり下ったりしていた理由は何で しょうか。私はこの箇所をあまり気にしませんでした。とこ ろが、ある注釈者の話によれば、ヨハネの黙示録八章三節に 出ているように、聖なる者たちの祈りの香が天使の手に渡さ れ、香炉をもって天使が上るから上ったというのだそうです。 では下ったのはどうして下ったのでしょうか。神様からいた だいた恩寵の祝福を持って下りその祝福を私たちに渡すため です。そしてこの夢をみたヤコブは主の御声を聞いたと言っ ています。

「わたしは、あなたの祖父アブラハムの神、あなたの主でも ある。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあな たの子孫に与える。あなたとあなたの子孫が西へ、東へ、北へ、 南へ広がっていってもそのすべての土地をあなたたちに与え る。あなたがどこへ行ってもわたしはあなたと共にいる。わ たしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る」との祝福の 御声でした。眠りから覚めたヤコブはどんな態度を取ります か?  恐れおののきます。「ここはなんと畏れ多い場所だろう。こ れはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ」と言 います。そして枕にしていた石を取り、それを記念碑として 立て、油を注いで礼拝を捧げます。この夢とビジョンは恵み の神様が自分と共におられるということの驚きです。ヤコブ の行動が正しいから恵みを与えられたのではありません。

大きな罪責と逃亡の身でありましたが、神様の恵みでその すべては裁かれませんでした。すると私たちは神様が不道徳 で非倫理的だと悪口を言えるかもしれませんが、神様は人間 の理性や判断を超える全能である神です。

ヤコブの至らなさや誤りを通して新しい道を開いてくださ るのです。もしヤコブがそこにとどまったならば放浪者になっ てしまったでしょう。

この夢を通して自信と勇気が与えられ、新しい道を歩ける ようになったのです。その道とはパダン・アラムにあるラバ ンのところへ旅立つ道です。そこに行って伯父ラバンに会い、 事の次第をすべて話し、渡された家畜の群れを飼います。羊 の群れを山へ、川へ追い立て、時には羊の子を取り上げたり、 育てなければならない時もあり、乳をしぼって加工したり、 病気の羊を治すこともあったでしょう。主人ラバンに気に入っ てもらおうとまじめに働いたでしょう。

ラバンの家にいたのが全部で20年でしたが、その長年を 一日のように働きました。ラバンが自分の娘2人をヤコブに 与えたのを見るとヤコブを大変信用したと思われます。

20年の歳月が近づいて財産の分配の時にヤコブは自分の 物を持って帰ろうとしましたがラバンは欲張りました。しか しヤコブはこの時も神様の判断を待ち、ラバンと喧嘩しませ んでした。そしてぶちの羊を自分の物にしてほしいと提案したヤコブの話をラバンは聞いてくれます。友情の道はけっし て利己主義でないことをこの話から教えられます。相手の立 場を先に計算しないといつまでも喧嘩になります。

ヤコブの第2期はここで人格が成熟し、信頼が深くなりま した。それでヤコブは新しい道へ旅立たなければならなかっ たのです。ラバンに認められ、その社会ではよい人とされま したが、幼少年時代のエサウに与えた傷が思い出されたでしょ う。エサウの心の傷は長い20年の年月が経っても治らず、 ヤコブを殺そうとする復讐心は消えなかったでしょう。ヤコ ブはその和解の道のためにどんな道を歩きましたか?

いろんな準備はしました。兄の考えに合わせるよういろい ろと工夫し、考えたでしょう。そうして自分の力の弱さが分 かり、神様に祈り始めました。

ヤコブの渡しで御使いと格闘してけがをし、神様を悩ませ て勝ったと言わないで、自分がけがをしてその格闘で勝った という意味のイスラエルという名前に変えてもらいました。 贈り物を3つに分割して、喧嘩することなく和解できるよう にしたので兄の心をつかむようになりました。丁寧にお詫び し、贈り物を受け取るようにして、積年の復讐心と悪口から 和解することができました。ヤコブは「兄上のお顔は、わた しには神の御顔のように見えます」と言って兄を恐れました。 人間が神様を見ると神様の光の前に人間は消えてしまうので す。  ヤコブはそんな考えでそういったのでしょう。

これを今日の状況から考えてみるとこのことはヤコブに とって十字架の道だと思います。その十字架をためらわず背 負って通ったと思います。十字架は贖罪の道です。コリント 人への手紙1、1章18節を見ると、「十字架の言葉は、滅ん でいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる 者には神の力です」とあります。

イエス様がこの世に来られて「友よ」と呼んだことがあり ますか。誰にそう呼びましたか。わたしが聖書を調べてみた らラザロにそう呼びました。ラザロのところに行ってみたら 土窟の中の貧しい家でした。

今、訪ねてみても分かります。そんな貧しい家のラザロに 友よ、と呼んだのはラザロにとっては過分なことです。イス カリオテのシモンの子ユダにも「友よ、しようとしているこ とをするがよい」と言われました。当時一番憎まれていた徴 税人にも行って友よ、と言われました。「今日は、ぜひあなた の家に泊まりたい」と言われました。

ヨハネ福音書15章13節、弟子たちにも「友のために自 分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と言われ ました。もしイエスが来られて私たち共助会のひとり、ひと りに友よ、と呼んでくださればどんなにうれしいことでしょ う。モラビア教派の中にツィンツェンドルフという人がいま した。この人は放蕩者で、真理から離れた人でした。ところが、 ある日、教会に行って十字架の聖画を見るようになりました。  その絵の下にはこう書かれていました。

「我は汝のためにかくのごとなせり、汝はわがために何をな すか」と。共助会の会員の中で川田先生をみなさんはご存知でしょう。 先生は贖罪的自由人という言い方をよく使いました。贖罪 の恵みをいただいた人がどう生きて行かなければならないで しょうか。それが贖罪された人の一生の課題であります。何 をすべきでしょうか。贖罪されたことがあまりにも嬉しいこ とだからいつも喜んでいるべきです。私たちが犯した罪をカ バーし私たちに永遠の命をくださったことを喜ぶだけでなく 感謝すべきでしょう。また絶えず私たちの居場所で感謝すべ きでしょう。そして私たちは同じく贖罪された人々と交わり 続けなければなりません。さらにひいてはこの贖罪の喜びと 感謝を知らない人へ伝道すべきだと思います。  最後に一つの話を紹介して終わらせていただきます。

私が1978年度に日本に行ったとき、和田先生に案内し ていただきました。和田先生は私に「人に会いたいですか、 自然を見たいですか」と聞きました。それで私は「人に会い たい」と言いました。最初、私が案内してもらったところは ある校長先生の家でした。その校長先生はコシハラという名 前の先生で、キリスト信者でありませんでした。先生の家の 裏にはたくさんの偶像がありました。私は先生に伝道をして みたのですが、先生は全然キリスト教に興味がなかったです。

韓国に帰って毎年、毎年、たぶん15年も続いたと思いま すが、そのコシハラ先生がいらっしゃる広い地区の中高校の 先生たちが観光のために韓国に来る機会がありました。その 先生たちは釜山、慶州、大邱、清州、ソウルなど教育事情の 視察に来ました。私は先生たちに大テ グ邱 の 私 の と こ ろ に 必 ず 寄 るようにと言いました。それで、私の教会では先生たちのた めの特別な行事を行いました。昼食を簡単に用意し、交わり の時間を持ち、特に婦人会では讃美歌をよく歌いました。

礼拝に参加した日本のお客さんたちも何か歌を歌ってくれ ました。毎年、大邱に来た30人か40人の方々の中に信者 は一人か二人ぐらいでした。その日は40人来ましたが、信 者はたった一人でした。

今もその人の名前を私は覚えています。池田ユキコという 名前です。その方たちはひそひそと話し合い、お礼として賛 美をしたいと言いました。信者でもない人たちの4部合唱は 今になっても忘れられません。その時、私たちが感激しなが ら聞いた讃美歌は「いつくしみ深い友なるイエスは」でした。

そうして私たちは友だちになり、それは神様の特別な恵み の感激極まりないことでした。  話が長く伸びて申し訳ございません。お祈りします。

足りない私たちをヤコブのように新しい夢を見るようにお 導き下さい。不充分で不足な私たちをお鍛え下さり、素直な 人格として成長するようにお助け下さい。

贖罪的自由人になった私たちがどう生きて行くべきか、私 たちの人生の方向をお導き、お助け下さい!

この祈りを主 イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメ ン!