随想

愛(アガペー)の像 三浦邦雄

2021年4月20 日(火)の「朝日新聞」朝刊第2面「ひと」の欄に、「20年以上、元米兵捕虜と交流を続ける」と題して伊吹由歌子さんの記事が写真入りで掲載された。良い紹介記事であった。伊吹さんは、バターンの死の行進を経験し捕虜となったある米兵と2000年に横浜で出会い、その人が、「憎しみは自分をおりの中に入れ、自分を捕虜にする」と冷静に語るのを聞いて感銘を受け、同時に自分が歴史を何も知らないことに気付く。元捕虜と初めて会うと、憎しみの目を向けられることがあるが、熱心に耳を傾けていると、相手の心がほぐれ表情が和らいでいく。「戦争の事実を共有することが何よりも大切なんです」と伊吹さんは語っていた。

当時私は高名な宗教学者山折哲雄氏の本を何冊か読んでいて、伊吹さんの記事が載った朝はたまたま山折さんの『老いと孤独の法』(中公新書ラクレ)を読んでいたが、その本の108頁から131頁にかけての「『巣鴨の父』田嶋隆純の生涯」を読んでいて、感銘し涙が止まらなかった。故田嶋氏は、1949年6月から戦犯が収容されていた巣鴨の東京拘置所の仏教の教誨師を引き受け、巣鴨プリズンに収容されていた多くのBC級戦犯たちから「巣鴨の父」と敬愛され、その上、処刑された戦犯たちの遺書を集めた名高い本『世紀の遺書』の生みの親である。1957年65才で亡くなるまで、死刑囚の助命・減刑の嘆願運動に全力を注ぎ、BC級戦犯たちの戦後の過酷な運命を語る上でも決して忘れ去ることの出来ない人物でもある。彼が初めて巣鴨で20代から30代の死刑囚10人ほどと対面した時、読経後、彼の口から出た言葉は、「国民、誰一人として戦犯でない者がいるでしょうか。もし、皆さんに罪があるとするならば、その罪は私たちもまた負うべきものと思います」と語っている。東京駅丸の内側駅前広場に高さ3メートルほどの像で、4・5メートルの円筒形の台座の上に青年が高く手を広げて大空に向かって祈る姿の像がある。BC級戦犯たちを慰霊するため建てられた通称「愛(アガペー)の像」で、台座に「愛・アガペー」と日本語とギリシャ語で彫られている。そして、その台座の下には、戦犯たちが書き残し、田嶋らが一書にまとめた『世紀の遺書』(巣鴨遺書編纂会、

1953年)が納められている。

そこで思うに、聖霊がいくつかのことに導いてくださる。伊吹さんのお働きと田嶋氏の働きに働いている同一の聖霊の導きとともに、東京裁判の議事を現場で記録された故大塚野百合(のゆり)さんのことである。大塚さんは、生前「あなたはイエス様を友達と思っていますか?」と私たちに問いかけられた。実は、伊吹さんの記事が出る2日前の4月18日(日)、私の所属する鎌倉泉水教会での礼拝説教は、ヨハネによる福音書21章の、復活された主イエスからペテロに3度問われた「私を愛するか」の箇所であった。ペテロは3度とも友愛を意味するフィレオーで「愛します」と答えたが、イエスは1回目と2回目はアガパオーで「私を愛するか」と問われたが、3回目はフィレオーでペテロに「愛するか」と問われたそうである。私はそのとき森 明と共助会のことを思ったが、今4月20日の経験で「アガペーの像」を思っている。

以上の2021年4月18日から3日間の不思議な経験を感謝

したい。森 有正に聞いてみたい気がする。(日本基督教団 鎌倉泉水教会員)