今、問われていること 鈴木幸江
今年一月の一日研修会で「ハンセン病問題を考える―特に宗教者の関わりを振り返りつつ」という重いテーマを与 えられました。講演して下さった浜崎眞実神父(カトリック司祭)は日本のハンセン病の歴史を辿りながら、その中で宗 教者が担ってきたことを語って下さいました。
明治以降、日本のハンセン病者にまず手を差し伸べたのは海外から来た宣教師でした。忌み嫌われていたハンセン病 者のために療養所を開設し、介護に努めました。明治末から昭和の初め、国公立の療養所が各地に開設され、極めて感 染力が弱いと判明してからも国は「無らい県運動」を掲げました。ハンセン病患者の全てを強制収容し、終生隔離することによりハンセン病の根絶を図りました。その後プロミンという特効薬が発見され、ハンセン病は治る病気となり隔 離の必要はなくなりましたが、「らい予防法」の終生隔離は続き、一九九六(平成八)年にようやく廃止されました。約 九十年間無用な隔離政策が続けられ「未曾有の人権侵害」を起こしてきたのです。その歴史の中で宗教者が果たした役 割は何だったのか、問わずにはおられません。療養所の中にはキリスト教、仏教、神道の教会や寺等が建てられました。 病を得て絶望の淵にいる時、信仰を与えられ、慰めを得、生きる意味を見出した方達がおられました。しかし宗教者は 彼等が自分と同じ一人の人間であることを、どこまで考えていたのでしょうか、厳しい問いであります。病める者に奉仕する中で、彼等の人間として生きる権利を見失い、信仰によって現実を耐え忍ぶことを強いて、結果的に国策に協力 してしまったのではないでしょうか。
共助会の原田季夫(すえお) 牧師は一九六一(昭和三十六)年、ハンセン病療養所長島愛生園の中に長島聖書学舎を開設しました。 その一期生であった大日向繁氏は三年間の学びの後、伝道のため駿河療養所内の教会の奉仕者となりました。原田先生 の臨終直前にお見舞いに駆けつけた時、原田先生は苦しい息の中から大日向氏に日本基督教団の資格を得て、療園の内 外に公的に伝道者として通用する立場で伝道すること、その実現に必要な具体的な方法を語られました。『共助』誌の 大日向牧師のこの証し「使命への道」(一九七三年二・三月合併号)を読んだ時、私はここに神の愛を真実に伝えた師がい たことを知らされました。
そして、今、私達もこの時代の中で、何を問われているのでしょうか。