平和の月、八月を迎えて 小菅 敏夫
今年も八月を迎えて、「平和のための戦争展」に参加している意味を考えさせられる。私の地元の柏市で千葉県統括地域のいくつかの市が一緒に「戦争展」を二十年前から開催している。今年で二十回になる。内容は日本やアジア地域における戦争、日本の戦時体制下における生活や社会状況等と敗戦後から現在までの平和への課題などを展示の形で見ていただくのである。出来るだけ戦争を知らない若い人々の参加を目指している。その展示の一つとして、「戦争と宗教」をここ十年ほど担当してきた。「戦争と教育」とともに戦争がもたらす大きな影響を考えると、これ程私たち個人の内心にかかわる問題をキリスト者や他の宗教者が戦争展の展示の一つに入れる意味があると思ったからである。
私の所属する柏教会には、組織の一つとして社会部がある。平和主日(八月第一聖日)には、平和について説教と講演を行ってきた。二〇〇七年には「教会の戦争体験」の題で新津田沼教会の安藤肇牧師にお話いただいた。戦時下における教会について戦争を知らない世代にとっては、日本のキリスト教の歴史と向き合う動機を与えられたと思う。このことから「戦争展」に「戦争と宗教」の展示を始めた。
安藤牧師の生涯において戦時下におけるキリスト教は青年時代であり、一九四二年に洗礼を受けたが教会や神学校が戦時下で、必勝祈願の祈りへの反発を覚えながらの徴兵検査であった。戦場で殺すことよりも愛する家族や祖国を守るとの思いで入営した。そこでは、天皇崇拝の問題に「天皇の方が偉い」と答えてしまったが、自分の信仰により「キリストの方が偉い」と答えることが出来なかったことを戦時下での信仰の挫折として記している。
敗戦後、彼の出発点は、聖書の「慰めよ汝ら我が民を慰めよ」と憲法の「言論、宗教及び思想の自由並び
に基本的人権の尊重は確立される」の二つとした。彼は戦後、市民的自由の担い手として派遣された教会だからこそ、社会的活動にも積極的に関わる信仰の宗教者であった。安藤牧師は二〇一四年五月に八十七歳で召天された。
「戦争展」では、著書『深き淵より』(復刻版)などを参考にした。