和解の福音とキリスト者の使命(2002年5月) 飯島 信
4月1日より3日まで、暖かな春の陽射しを身に浴びながら、第3回韓日キリスト教共助会修練会が3度ソウルの地で開催された。日本からの参加者は23名であったが、韓国側の参加者はかつてなかったほど多数に上り、その数40名をはるかに越え、合わせて70名近くを数える盛会なひと時となった。
「アジアの平和とキリスト者の使命-和解の福音を身に帯びて」の主題のもと、3日間にわたる寝食を共にしての韓国の友たちとの交わりと語らいが始まると、私はある事実に気づかされていった。その一つは、この修練会に初めて参加した韓日の友たちであっても、私たちは、即座に深い信頼と友情の絆で結ばれているお互いを見出したことである。第2次世界大戦のさ中に種蒔かれ、戦後の激動の時を経てもなお確かに芽生え育っていった韓日両国の先達らの主にある友情の交わりは、60年の時を経てもなお変わることなく、否、一層力強く、この交わりに群れ集う私たちを導き入れるのである。
その二つは、参加者それぞれが、プログラム一つ一つの実りを求めて、己れの賜物を献げ尽す姿である。何の報いも賞賛も求めることなく、それぞれに与えられた課題をそれぞれに与えられた場でふさわしく果 していく。議論の中で意見の相違が見つかろうとも、己れの正しさを主張するのではなく違いは違いとして認め、キリストにあって一つとなろうとする。そのような一人一人を覚えた時、私は私たちの群の中に、すでに和解の福音を携えて立ち給う主イエス・キリストの現存を見る思いがしたのである。
ひるがえって、世界の現実を思う。9・11以降、アフガニスタンの地において、又パレスチナの地において、争いと殺戮は繰り返され、憎悪と暴虐がこの地を覆っている。国内外の何処に目をとめようとも、平和を見出すことが出来ず、無力な己れを思い知らされる日々が続いている。しかし、こうした中にあっても、詩編の作者はなお私たちに次のように祈ることを呼びかけている。 「主よ、あなたの道をお教えください。わたしはあなたのまことの中を歩みます。御名を畏れ敬うことができるように 一筋の心をわたしにお与えください。」(詩編86・11)
何という慰めに満ちた御言葉かと思う。私はこの御言葉に導かれつつ、私に与えられた今日一日の生を全うしたいと願うのである。