今こそ、恵みの時、救いの日(2002年7月) 尾崎 マリ子
「夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨て光の武具を身につけましょう」(ロマ13・12)。
悩みを抱えたまま終末に向かって歩みつづけるこの世界が、それでも信仰者にとっては遣わされた場であると、ローマ訪問を前にしたパウロが告げています。これは、今、わたしたちにとっても聞くべき言葉です。政治的、経済的、倫理的な大きな不安が暗く世を覆い、罪悪感を持てない世代が増えています。凶悪な犯罪がエスカレートし家庭の中にまで及んでいます。生活の基準になる支えを持たないため、善悪の判断が出来なくなり、生きる目的を失って自己破壊的な状況に追い込まれていく人々の姿を見るのは悲しいことです。
昨年クリスマスイブ礼拝の夜、近くに越してこられたばかりの若い人が、生まれて1カ月に満たない赤ちゃんをオーバーの中にすっぽりくるんで、伏目がちに教会に来られました。最初は荷物かと思っていましたが、か弱い泣き声で赤ん坊とわかったのです。事情を聞くと「夫は多忙で毎日真夜中まで帰らず、知り合いもなく、ただ、泣き止まない子供を投げ出しかねない自分が恐ろしくなり、灯が見えたので教会に来てしまった。」とのことでした。孤独で心が破れそうな時に教会を想う。この人のために教会があったのだと気づかされました。
生活の中で絶対者である神に対する信頼がなければ、わたしたちの心は、嵐の中の小舟のように絶えず揺れ動き、大風が吹けば沈没してしまいます。揺れる小舟を支え、まっすぐに航行させてくださるのは、常に聖書を通 して語られる神の言葉です。それはだれにとっても、自分を導く杖です。他のものに心奪われて、聖書に辿り着くことのできない人々に、広く、力強くこれを差し出すことが、今、わたしたち信仰者に求められています。
しかし、わたしたち自身が、この時代の荒波の中に巻き込まれてしまってはいないでしょうか。「あなたがたは、この世に倣ってはなりません」「闇の行いを脱ぎ捨て、光の武具を身につけなさい」と勧められています。今は戦争前夜の時代と言われますが、出口の分からない闇がそのままで終わることのないように、声を高くしたいと思います。落胆してはなりません。この闇の中にこそ恵みの光が差し込むのです。「今こそ恵みの時、救いの日」。御言葉の中に輝き出される光の武具を身につけ、心と思いを合わせたいと思います。