汝、殺すなかれ(2002年8月) 山本 精一

 今この国を覆いつつある闇は、エジプト全土に臨んだ闇のように深い(出エジプト10・21-29)。敗戦という歴史的経験が、庶民レヴュルで、日々の生活現場・生活実感に回心にも似た深い陰影を与えていた時代の息吹は、いまやこの国の中では圧殺されんばかりである。

 現在の国会の中で、胸をそびやかし大声で「有事法制」をまくしたてている主力は、30-40代の議員連だということを、中曽根康弘が目を細めて語っている。彼らの大半は、アジア全域にわたる戦争被害者の痛切な声に一対一で身をさらすよりも、国際政治や国際経済についての知識を大所高所から振り回すことの方が政治だと心得ているようである。もちろん彼らのこうした威勢のよさの背後にはそれぞれの親分筋が控えており、そしてこれら大物小物の親分筋の背後には、さらに、世界政治をただ一国で牛耳ろうとしている超大国アメリカの野蛮で空虚な覇権主義の戦略が蠢いている。じじつ湾岸戦争以来、最貧国アフガンに対する「報復戦争」の現在に至るまで、この国の政治的多数派は、この覇権国家アメリカから「優等生」の評価をもらうことに躍起になっている。

 それに対して、この国のマスコミはどうであろうか。「報復戦争」への加担を煽るか、せいぜいのところ現状追随に終始している。ワールドカップについてはスペースと時間をたっぷり割き、日本の対テロ貢献がアメリカから「評価」されたことについても事細かに報道するのに対して、痛切な敗戦経験の根底からの転覆・破産を意味するこの「有事法制」についての、見識と勇気に支えられた徹底的な批判・検証を、スペースと時間を割き事細かに展開するマスコミは、日本には存在しない。大声がのし歩き、公器が沈黙する。わたしたちは恐ろしい闇の中にいる。

 生活の中で絶対者である神に対する信頼がなければ、わたしたちの心は、嵐の中の小舟のように絶えず揺れ動き、大風が吹けば沈没してしまいます。揺れる小舟を支え、まっすぐに航行させてくださるのは、常に聖書を通 して語られる神の言葉です。それはだれにとっても、自分を導く杖です。他のものに心奪われて、聖書に辿り着くことのできない人々に、広く、力強くこれを差し出すことが、今、わたしたち信仰者に求められています。

 今4月、春の日差しのまばゆいソウルを訪ね、韓日共助会の修練会に部分的ながら参加を許された。数々の忘れられない言葉に出会ったが、その中で洪彰義先生が、北東アジアの平和創出の努力を蹂躙するアメリカの覇権主義に対して、信仰に基づく「否」を歴史的実存を賭けて告白されたことに、心を激しく揺り動かされた。この国の深い闇の中にあって、隣国に奇跡のように与えられているこのような先達にして友の面 差しに、わたしたちがいつも向き合っていることを深く肝に緒じたい。ここに私たちの出発点がある。