【感想】歴史の水脈を掘り当てて 朴 大信
私にとって、共助会との出会いは2017年に始まったばかりです。まだ正会員でもないのですが、この度、第七回韓日修練会に参加する機会に恵まれました。結論的に申せば、そしてあえて大袈裟に誇張するならば、この訪問は、共助会百周年の節目を迎える年にあって、その過ぎ去りし歴史に底流していた水脈を掘り当てるための、かけがえのない入口となりました。振り返れば、参加のきっかけは不思議でした。2017年当時、私はまだ神学生でした。そして今は、伝道者として松本東教会に遣わされています。前身は単立松本日本基督教会。共助会員だった和田 正牧師が、約40年ほど牧会された教会だと、赴任を機に知りました。今年春、飯島委員長より韓日修練会のお誘いを頂きました。その理由は、この韓日修練会(および韓国共助会)というものが存在する背景には、和田牧師が深く関わっておられた事実があるからだというのです。これも初めて知りました。そして和田牧師と韓国との交わり(和解)の中で、忘れてはならない重要人物に、尹 鍾倬(ユンジョンタク)という牧師がいる。この尹牧師に、修練会最終日に会いに行く。おそらく今回が最後の機会となるだろう。そんな飯島委員長の見事な口説きに、私は神のくすしき采配を感じ取りました。
二泊三日のプログラムでは、両国の共助会の実情や展望を率直に分かち合い、また韓国社会における教会とキリスト者の、地に足のついた生きた姿も垣間見ることができました。そして何より、この場で出会う者同士の情緒あふれる温かさと、またこの時代、イエス・キリストの信仰に立ち続ける志に包まれて、大変励まされるひと時となりました。
さて、いよいよ待ちに待った最終プログラム。ソウルから南(大邱)に下ること数時間。前日まで、病状次第ではお会いできないかもしれぬ結末も覚悟した尹先生の訪問。しかし神様は、その機会を最善の仕方で備え、そこに居合わせたすべての者に喜びをプレゼントしてくださいました。尹先生は、私たち訪問団の小さな輪の中に車椅子姿で現れました。初めての対面。緊張しつつ、私は初めて挨拶と握手を交わしました。たった二、三の会話。滞在時間も数十分。しかし先生の表情には平安が満ちていました。実に柔和な姿。戦後の厳しい一時代を闘い抜いた信仰者としての勝利。まさにその勝利の行進【十字架の下での和解の恵み】に導かれてたどり着いた神の御腕の中に、尹先生は生かされていました(この消息については、夏期信仰修養会の早天礼拝で詳述。『共助』2019・第7号参照)。
最後に、今回の修練会で印象的だった学びから一つ。それは、歴史を記憶/追憶する(remember)という営みがもたらす実りについてです。それは「re-member」だということ。つまり記憶とは、単に過去の事実を思い起こすだけに留まらず、共に過去を見つめ、共に今を生きる「共同体(教会)そのものを再構成する」ことにもなる、ということです。この再構成は、さらにその共同体を、新しい未来の扉に立たせる再出発点ともなります。共助会100年の歴史。否、そもそも神のご支配の下にあるこの世界の歴史とは、単に過去の記録や事実の羅列などではないはずです。歴史専門家の手の内にだけあるのでもない。和解の主なる神が、この歴史のただ中に働き給うお方であればこそ、その御手の内で起こされる出来事は、絶えず過去の歴史に埋没する宿命を突き破りつつ、水脈として今に生き続けるはずです。私たちが、様々な出会いや思わぬ発見を通して神の歴史を記憶する時、その歴史の真理はいつも「今」として立ち現れ、未来に向かう私たち「共同体」を支えて新しく形作る。そんな希望が強く示される旅となった恵みに、ただ感謝しかありません。