随想

また、お会いする日まで  飯島 信

熱海の「海の見える病院」を初めてお見舞いに訪れたのは9月3日でした。共助会の友と共に、亜紀さんに伴われてのことでした。

病床の尾崎さんは、私たちが訪れたことをお分かりになった様子で、呼びかけの声に、時に涙を流しておられました。しかし、何よりも驚いたのは、言葉を発することの出来ない中で、私たちの祈りに合わせて「アーメン」と一緒に呟かれたことです。

2度目に訪れた時、尾崎さんは只真っすぐに顔を上に向け、呼びかけにも顔を動かすことはありませんでした。その厳しい表情は、キリストに相まみえる心の準備をしておられるようでした。3度目に訪れた時もその表情は変わりませんでした。私たちとの最後の挨拶はすでにすみ、今は、イエス様が招いてくださるのを待っているのだと語っているようでした。

そして、最後の訪れとなった10月22日、この日は共助会の友と令君夫妻、それに亜紀さんと共に病床聖餐を行いました。病室には、看護師さんや入院中の方も訪れ、外まであふれるほどでした。神様は、尾崎さんを、聖餐の時を通し、人々に最後まで神様を証しするために用い尽くされたのです。

聖餐式の祈りを終えた後、言葉にならずとも、何度も口を動かし、アーメン、アーメンと言われていました。

私が尾崎さんと初めてお会いしたのは、共助会を通してでした。そして、いつからか、尾崎さんが担当されていた大切な書記の役を、ご自分に代わって私にするように言われ、それ以来、私も共助会の働きの一翼を担うようになりました。

しかし、私にとっての尾崎さんの存在は、マリ子夫人ともども、令君と亜紀さんとの出会いなくして語ることは出来ません。尾崎さんご夫妻を知って間もなく、私は幼い令君・亜紀さんと一緒にICUのキャンパスで遊び、お弁当を広げたのを、ついこの間のように思い出すのです。

戦火のベトナムを訪れ、お二人を引き取り、我が子として育てられた尾崎さんご夫妻の姿に、私は、共助会の社会問題との関わりの原点を見る思いが致します。小さくされた者と、文字

通り、己の人生を賭けて、共に歩み抜く生き方です。何を語らずとも、尾崎風伍、尾崎マリ子、尾崎令、尾崎亜紀、この4人の今在る現実が、私たちに歩むべき道、その在り方、政治・社会問題に関わる最も大切なことは何かを教えているように思います。

それは、小さき者を愛し尽くせ、己の人生を賭けて……。

尾崎さんはそのように私に語ってくださっています。

肩を張る事も、声高に語ることもなく、それでいて、最も大切な生き方を身をもって教えてくださった尾崎さんを思う時、何が彼をしてそのような生き方を成さしたのかを思わずにはいられません。そしてまた、神様は尾崎さんをどのように用い尽くされたかを改めて考えるのです。

『共助』誌を繙ひもときました。1992年10・11月号、中澤洽樹先生をお迎えして「第二イザヤ」について学んだ夏期信仰修養会特集号です。尾崎さんはこの時、閉会礼拝を担当されました。題はイザヤ書55章10節からの「わが言葉、空しくはわれに帰らず」でした。

メッセージの中で尾崎さんは次のように語ります。

「わたしたちは全く罪深く弱い者でありながら、キリストの十字架の血によって、その打たれた傷によって癒されました。……主キリストの恵みによって、人間の思いや方法を高く超えてご計画を成し遂げられる神が、この罪深い小さな者をも、あたかも不可欠の要素であるかのように、神の国の完成の御業に参画するように招いてくださるのであります。」

このように語った後、呼びかけるのです。

「それでありますから、私たち一人ひとりが、神の言葉を担う雨のひとつぶ、雪のひとひらとなりましょう。それはたとえ空しく消えてゆくようであっても、神は御言葉によって必ず御計画を成し遂げられます」と。

尾崎さん、またお会いしたいです。

その時には、あなたがイエス様を追って「神の言葉を担う、雨のひとつぶ、雪のひとひら」として生きたように、私もまた、イエス様の後を追って歩もうとしたことをご報告出来るようにと願っています。

2019年11月8日(基督教共助会委員長・日本基督教団 立川教会牧師)