元号(2005年2月・3月号) 佐伯 邦男
若い人から、たまに年齢を問われることがある。私は「26年生まれですよ」と言うと、「未だお歳ではないのですね」と答えが返ってくる。1926年と昭和26年とを間違えるのである。「明治41年生まれの方が、平成8年に亡くなられました。享年何歳だったのでしょう」、「本の奥付けに、昭和60年発行、平成7年13刷とあるが何年続いているのでしょう」。こうした疑問に即座に答えられる人は少ない。昭和64年 (1989年) 1月、昭和天皇が亡くなられた時、カレンダー業界が大騒動したとか、賢明にも西暦で用意していたから問題は無かったとか聞いた。身近にあるカレンダーを調べたら、大半は西暦となっていた。
明治になって、天皇の一世一元号制が定められたが、その前の孝明天皇の時代は元号は6回変わっている。嘉永、安政、万延、文久、元治、慶応であり、改元の理由は、皇居炎上や黒船、外交難、天変地異などである。いわば縁起を担いだが、明治以降は天皇死亡のあとは、天皇の贈り名そのものになった。昭和54年(1979)元号法が制定され、強制ではないとしながらも、公文書には元号を使うことが求められ、卒業証書に西暦を使った校長が訓告処分を受けたり、元号記載の卒業証書をうけとらない学生がいて混乱を招き、併記する学校も現れた。
中学時代、歴史そのものは嫌いでは無かったが、試験は元号を書かされるので嫌いになった。身近なところで、元号使用の状況を調べてみると、市町村の諸届け、健康保険、住民票、運転免許証、銀行などは元号のみ記載である。さすがにパスポートは西暦のみであるが、運転免許証の海外での書き替えに苦労した話は酒の肴になる。食品などの賞味期限は、元号と西暦の混在である。気になっているものだから、元号を使っているか、西暦にしているか、いつもチェックしている。ちなみに、元号を使っているのは日本だけだ。
最近は、歴史に異常なほどの興味を持っているが、この元号には悩まされる。世界歴史の中での日本の時代位置が不明である。生き死にに関係がないが、国際感覚の妨げになることは甚だしい。元号、国民の祝祭日という名の宮中行事、君が代・日の丸、元旦の神社参拝など、日常生活の中で次第に慣らされて行くのは怖い。昭和天皇の誕生日が「みどりの日」、明治天皇のそれは「文化の日」である、これも、いつ復活するかも知れない。