「わがため、また福音のために」(2005年1月号) 橋本 二
戦前のタブロイド判『共助』1940年5月号に奥田成孝先生の「聖霊降臨節を迎へて」という巻頭言があり、文半ばに森明先生の随想「濤声に和して」からの引用がある。
「恐る可きは某国や我国の困難に際して或いは起るであらう革命ではない。真に憂ふべきは大帝国ロマ滅亡に至りたる原因で、我国数十万の信徒の上に懸る重き責任である」。森先生が大正末期の日本の病根を憂いて発せられたこの言葉は、1940年日本が国威発揚に躍起になっていた時代に、奥田先生の密かに発せられた叫びと重なった。巻頭言は、次のような言葉で閉じられる。「『生命を得る者は之を失ひわがためまた福音のために生命を失ふ者は之を得べし』・・・このイエスの御言葉こそ基督教生命道の根本法則である。基督教界は果して固く此の法則の上に立っているか。己が生存を完うせんとする誘惑にかかれるところなきか。我らは此の時『我がため』また『福音』のためにと云はれた主の御言葉を新たに深く自覚し・・・各自、己が信仰生活に於てこの言葉に答えをみいだすものとなりたい。・・・」
“皇紀2600年”の重苦しい空気の下での奥田先生の苦衷が偲ばれる。
戦後新しい装いでスタートした『共助』誌への奥田先生の最初の寄稿は、1953年8月号の「天災か人災か」という短い文章であるが、
「あれほどの犠牲を払った戦争を経て、我が国には、何かそこに望みを嘱しうる様な、過去を悔い改めて新たにといいうるものがあるのであろうか。社会のどこに『真(まこと)』があるであろうか。政治は不明朗を極め、社会の様々な美しき、よき主張にさえ表と裏とがあるこのとき、天災か人災か、禍は相次いで国土をおそう。時の兆しはかつての亡国の前の姿にも似たものがある・・・」
そして例の「濤声に和して」からの引用が続く。
更に59年12月号では「今は又今の時代の動きがある。そこに尊ぶべきものがあることは云うまでもないが、しかしキリスト教会はもっと深い魂の根拠からの呻き、戦でないと真の信仰の戦いとはならないことをおそれる」と。
年頭の巻頭言が引用の羅列に終始して申し訳ないが、歳末いささか健康を害し新年に相応しい決意を述べる筆も鈍りがちなとき、先達の言葉を読み返してこの2005年の初頭にこそ新たに聴くべき言葉と感じたのであえて記させていただいた。お許しを乞う。時代の流れに動かされずにただ御言葉に拠りたのみ、現に深刻な信仰の戦いに直面している友の苦しみを我が苦しみ痛みとして覚えつつ、戦後60年目の年を歩み出したい。