主は盛んになり私は衰えなければなりません ~すこやかに病む・癌とともに~ 平良久美子
「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。」(Ⅰペテロ1:3 新改訳)
この病を通して主の語りかけについて思いを巡らせていた矢先、木村姉から証の依頼を受け、振り返ってみて何という恵みの日々だったかと思わされました。わたしはいつも聖書のみ言葉から叱責、喜び励ましを頂いてきまた。ですから今回もみ言葉を通して主がどのように導かれたかについて語りたいと思います。
これまでの歩み
「苦しみに会ったことは、私にとって幸いでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」(詩篇119:71)
保健師として疾病予防活動に関わっていた30年前、36歳に左乳癌の病を与えられ全摘出手術を受けました。自己憐憫と因果応報の考え方に囚われ原因追及してやまない良心の呵責にさいなまれ辛い日々の中で、北白川教会の先達から祈りと励ましの寄せ書きを頂きました。「神様を信じ抜いて下さい」との言葉が目に留まり、とりなしの祈りと聖霊の導きにより「なぜ病になったのか」から「何のための病なのか」に思いが変えられ、30年間主が共にいて下さりみ言葉に導かれ信徒の交わり、とりなしの祈りに支えられて感謝の内に過ごしてきました。
2度目の病と骨転移等を通して
「あなたがたはキリストのためにキリストを信じる信仰だけでなくキリストのための苦しみをも賜ったのです。」(ピリピ1:29)
2年前、近くの医院での乳癌定期健康診断では異常なしでしたが、数か月後右乳房の違和感を感じ、専門病院を受診しました。これから起こるであろう悪性の診断、手術後の大量出血、骨盤転移等の出来事は予想だにもしなかったことでした。
2週間後、「残念ですが悪性でした、右乳房全摘出術を考えています」と、医師から聞いた時、「健診時の医師が患部の広がりに気が付いてくれていたら」「私が専門職としてもっと早く気付けなかったのか」と過ぎたことに対して自責の思いや怒りに満たされていました。手術までの数週間、これまで主が無限の知恵、力を注ぎ導かれたことへの感謝が薄れ「こんなはずがない」と混乱しましたが、み言葉、祈り、信徒の交わりの中で落ち着いてきました。手術室への短い時間に集会の姉妹がみ言葉を読み祈って下さいました。「苦難と窮乏とが私に襲い掛かっています。しかしあなたの仰せは私の喜びです。あなたのさとしはとこしえに義です。」(詩篇119:143― 144)
術後の経過は良好でしたが、術後5日目に手術部から出血が起こり胸部を圧迫止血し退院となりました。突然のことに先の見えない不安を覚え主に祈れることが希望でした。貯留した血液を吸引するため、外来通院をしていた数か月後、歩行時に痛みを覚え検査の結果、左骨盤に骨転移が見つかりました。痛みと次から次と起こる出来事や主治医との治療に関する意見の不一致によって疲弊し、これからどうなっていくのだろうかと気持ちが沈んでいくのを感じました。杖歩行となり痛みからの解放を主に願いつつみ言葉に助けを求めます。
人の思いと祈りは主への全くの信頼を欠いていましたが祈りを通し「発見の遅れ等も含め主はすべてを支配されること」「イエス様の十字架の血潮の価値」についてみ言葉が与えられたのでした。罪赦された罪人にすぎない私が何よりも優先して気づくべきことは疑う余地のない、自分自身の一番深く重い罪の病を十字架の血潮ですでに癒してくださったということと主の復活でした。
北白川教会の姉妹が訪ねて下さり祈りを通し、深い慰めを受けました。その後、十字架のイエス様の姿を思うと涙が溢れ注射の痛みを和らげてくれます。病気で死ぬことはなく息は神の御手のうちにあると強く思わされました。
最近の生活
「彼らは涙の谷を過ぎるときもそこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。」(詩篇84:6)
新薬の副作用と共存しつつ、転移等のある同病の患者さんとの交わりに導かれその嘆きのただ中に主と共に傍に居るだけです。ある患者さんから「平良さんのコアはなんですか」と問われ、その問に驚くと同時に主に対する感謝の思いが湧き上がってきたのを忘れられません。それらの方々の救いを祈っています。仕事上の恩師が「すこやか(何のもつれもなく、流れのいいこと)に病む」ようにと声を掛けて下さいました。私の人生における目標は神のものであり自分自身のものでないこと、「何のため」を又深く思う時となり、病の弱さの中で御心のままに導かれて歩むことなのだと知りました。
「病まなければ」 水野源三
病まなければ ささげ得ない祈りがある
病まなければ 信じ得ない奇跡がある
病まなければ 聞き得ない御言葉がある
病まなければ 近づき得ない聖所がある
病まなければ 仰ぎえない御顔がある
病まなければ 私は人間でさえあり得ない
(沖縄キリスト集会会員)