わたしたちの国籍は天にある―天の瀧浦 緑さんを憶えて―佐伯勲


昨年の8月22日に瀧浦緑さんが天に召されました。生前より、葬儀は北白川教会で、ということでありましたが、北白川教会そして私の都合(7月より休職中)、また、召されたのが大阪の老人ホーム、さらには、瀧浦家は日本基督教団大阪教会とも深いつながりがあり、息子さんの純弥さんの葬儀も大阪教会、そういったことどももあって、ご遺族の了解を得、大阪教会にお願いしたところ、快く受け入れてくださいましたこと、この紙面を借りて感謝いたしたいと思います。

緑さんの略歴を少し詳しく載せました。見ていただければわかりますように、緑さん100年のご生涯は、基督教共助会100年の歩みと重なります。

1919年誕生、共助会発会。~2019年召天、共助会創立100年。年数だけでなく、苦難のご生涯と共助会の苦難の歴史とも重なり合っているようです。100年について書くことあまりに多く、一、二点に留めたいと思います。

緑さんにとりましての一大事は、1944年夫和男の戦病死、45年8月15日敗戦でありました。夫の死は1944年4月27日緑さん25歳の誕生日に弔慰金書留で知らされたのです。2歳の男の子と義母(瀧浦サメ)、そして恵美幼稚園(幼な児たちへキリストの教えを伝えたいという願いによって1931年開設。1931年…満州事変、上海事変、5・15事件)が遺されたのでした。義母のサメさんは、「もし私が神様を知らなかったら気が狂っていたと思う。泣いては祈り、祈っては泣いていたが、神の恵みに支えられて元気をとり戻すことが出来た」と語っておられますが、それは緑さんも同じことであったでしょう。そして決意されます。

「……誰に相談することもなく、この場所(恵美幼稚園)は自分がえらんだところでもあるが、神様の置いて下さった場所であると考えて、……60年に近い年月を感謝のうちに過ごしたのである」と、2008年8月号の共助誌に「六〇年前のある日に」と題して、1950年北白川教会転入、恵美幼稚園三代目園長就任のことを振り返って記しておられます。

その日以来60年、一心不乱に「幼児教育者の一人として」主のために励んでこられました。2000年以降は、認知症がどんどん進み、老人ホームを転々とされ、最後は、大阪の淳子さんの居住近くの老人ホームに移られました。私はこの20年の間、召されるまで、6月子どもの日(花の日)、12月クリスマス等何度お訪ねしたことでしょう。この20年、本当にいつも変わらず、ニコニコ笑顔で私たちを迎えてくださり、私が寄ると必ず、頬ずりし、髪の毛に手を伸ばしてぼさぼさにされます。あぁこうやって60

年の日々、園児たちを迎えておられたんだなぁと思ったことでした。

琵琶湖霊園の瀧浦家の墓碑には、フィリピ書3章20節の聖句「されど我らの國籍は天に在り」(文語訳)が刻まれています。緑さんが生前に選ばれ建立されました。天に国籍を持つ基督者として地上の生涯を歩まれ本国に帰られたことでした。この「天に〝在り〟」という字は、そこに存在しているという字です。決して、ただある、というのではなく、堅く根をおろしている、という意味なのです。私たちの信仰生活は天に確信を持っています。しかし、天に本当の根拠を持って生活しているのか、問われる思いです。

緑さんの地上の生涯は、20節後半「救主、主イエス・キリストのこられるのを、待ち望んでいる」一人として、21節「わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう」望みに生きられた、これこそ困難な生活の中にあっても何事にも負けない生き方、死に方です。

このようにして下さる神の御力を共々に心から讃美したいものです。

(追記)狩野義子さんは、祈祷会で、いつも決まって、自分は恵美幼稚園でイエス様のことを教えられたことを感謝して祈られます。

瀧浦 緑さん 略歴

1919年4月27日 誕生 京都市
*1919年12月クリスマス 基督教共助会発会
1925年4月 京極尋常小学校入学
1931年 恵美幼児園開設(1941年京都府認可、恵美幼稚園と改称) 
     初代園長瀧浦文弥  二代目瀧浦サメ
1933年 平安女学院高等女学校入学
1934年4月23日 受洗 聖アグネス教会 宇田司祭
1938年4月 女学校専攻部に上がる
1941年 瀧浦和男(瀧浦文弥、サメの長男)と結婚
1942年10月30日 純弥誕生(1946年12月20日 大阪教会で幼児洗礼 市川恭二牧師)
1944年 夫和男戦病死
1945年8月15 日 日本敗戦
1950年3月26日 北白川教会転入 サメ、緑、純弥
     日曜学校の先生、礼拝奏楽者として奉仕
     緑 恵美幼稚園三代目園長 幼児教育者の一人として立つ
1969年 瀧浦純弥・田辺淳子結婚~和弥、伸年、園子(緑さんのお孫さん)
1974年 瀧浦淳子受洗、和弥(幼児洗礼)、純弥信仰告白 北白川教会 奥田成孝牧師
1977年 瀧浦伸年(幼児洗礼)北白川教会
1981年 瀧浦園子(幼児洗礼)北白川教会
1997年 恵美幼稚園閉園 第六六回卒園生
     この間、二千人に近い卒園者を送り出す。狩野義子さんは第一回の卒園生。
2000年以降 
岩倉の地で居住後、老人健康保険施設に(京都バプテスト~岩倉紫雲苑~) 
その後、大阪特別養護老人ホーム 江之子島コスモス苑に移る その後、大阪特別養護老人ホーム 江之子島コスモス苑に移る
花の日、クリスマス問安 
2017年3月21日 純弥召天 葬儀は大阪教会に於いて(3月24日 司式は岡村恒牧師)
なお、瀧浦淳子、園中その子さん(旧姓瀧浦)は大阪教会に転会
その子さんのお子さん2人〈ゆりあさん、貫十郎君(緑さんのひ孫)〉は大阪教会にて幼児洗礼
2019年8月22日早朝 大阪江之子島コスモス苑にて召天 百歳 
葬儀は大阪教会に於いて(8月23日 司式は本庄侑子牧師)
2019年11月19日 琵琶湖霊園の瀧浦家のお墓に納骨 墓碑「されど我らの國籍は天に在り」

*2019年12月クリスマス 基督教共助会創立100年~瀧浦緑さんが書き遺されたもの~
*「北白川教会 六十年史」46~49頁 「懇談」瀧浦緑
*小冊子 『守られ導かれて八十五年』瀧浦緑
*共助誌 
〇1989年6月号「自分が今、どう生かされているか」
〇1990年10・11月号「幼児教育者の一人として」
〇2008年8月号「六〇年前のある日に」(昭和20年8月15日)
*「北白川通信第二九号」…「守られ導かれて八十四年」これを元に『守られ導かれて八十五年』が、清水武彦さんの尽力で出来上がる。