巻頭言

コロナ禍に思う 林 律

この文章が印刷に付されて皆様のお手元に届く頃は、コロナ禍はどうなっているであろうか? それにしても大変な人的物的損害を全世界に拡大した災禍(さいか) である。この災いは神の御手によって中国で発生し、多くの人を死に到らしめ、人類に多大な経済的損失をもたらしたものと言ってよいであろう。私の友人(非キリスト教徒)が私に向かってよく言う言葉「キリスト教の神は愛の神であるという。本当に愛の神であるなら、どうして大変な災害に人類を巻き込むのか? 理解に苦しむ」に対して、私もよく理解できないというのが本音に近いと思うが、キリスト者として何か有効な説明をしないわけには行かないであろう。

今、私はエゼキエル書を読んでいる。「恐怖が臨む。彼らが平和を求めても、どこにもない。災いに災いが続き、悪い知らせが相次いで来る。」(7:25〜26前半)と記されている。一方、37章には、主が枯れた骨に向かって霊を吹き込まれて肉の人体が復活する幻が示され、39:25には「いまや私はヤコブの繁栄を回復し、イスラエルの全家をわが聖なる名のゆえに熱い思いをもって憐れむ」と記されている。

コロナ禍は全人類に対する神の怒りの表現であると私は思う。人類の悔い改めをこそ神は求めておられるのだ。私たちキリスト者にはキリスト者としての悔い改めが求められている。全人類の救いのためにせっかくイエス・キリストを遣わし、悔い改めを求め、十字架という大変な血みどろの苦しみまで味わって天に凱がいせん旋させた。人類は何故この神の意志をきちんと理解しないのか。キリスト教徒は全人類の中では必ずしも多数とは言い切れず、また、その実情はラオディキヤの信徒のようにまことに生ぬるい。異教徒は異教徒で、福音に耳を傾けようとせず、放縦な生活を繰り返して神に背いている。

私たちは、この神の御意志をきちんと受け止め、真に悔い改めて、各自、心を込めて日々の祈りを新たにし、神の問いかけに応答して行くこと。これしかない。

困難な道であるけれど、これが私たちに課された道であるかと理解している。

(日本キリスト改革派 千里摂津教会員 隠退医師)