繰り返させないために(2007年8月号) 橋本洽二
戦後62年、15年戦争の発端とされる柳条湖事件から数えれば76年になる。歴史の真実は、その時代を生きた人なら誰でもが語り得るのではない。 語りうるのはその時代の不条理の故に抗い難い苦しみを味わされた者たちであろう。今はその人々が現代の若者に語り伝える最後の機会である。しかし一度それを聞いた若者がその場では心を動かされたとしても、彼らの現実の行動にそのことがしっかりと生かされるかどうか。本当に伝えるということは難しい。彼らの多くは学校できちんと教えられる代りにメディアの伝える(しばしば事実とかけはなれた)「戦時のイメージ」を持っている。「戦争の悲惨はもちろんとんでもないことだが、当時と全く違う今の時代に、再びそのような事の起こることなどあろうか」という浅い判断から抜け出すことは、若者たちにとってそう容易ではないらしい。
何より戦争の惨苦は、他国からの攻撃によってのみ生ずるのでないことを知らせなければならぬ。最近よく「大戦前と同じような雰囲気になってきた」という年輩者の言葉に接するが、戦後生れの人はそれをどのように聞くのだろう。いつのまにかメディアの論調が変わり、学校が変わる。弱い者が取り残され、今は当然のことと思っている個人の自由・権利が狭められ、抵抗するにもその道は閉ざされる。そのために呻吟する人々のことは無視され、それが当然という雰囲気になる。わが国の場合その方向へ行こう、戻ろう、とする「体質」があることを私は戦後ずっと感じてきた。私と同世代の小田実氏は次のように語っている。「戦争を知らない人は、戦争に向かっていくときは街に軍歌が鳴り響き、みんなが日本の勝利をひたすら祈っているような異常な状況になると思っているらしい。でも私の経験では、ありふれた日常の中で進行し、戦争へと突入していった」(本年6月28日朝日新聞夕刊)。
戦争体験者の証言を今に生かして理解するには、その時代にリアルタイムで書かれた「日記」の類を読んでみることも役に立つかもしれない。例えば当時の作家たちの日記は、職業柄のちに公開されることを意識して日常の出来事を細かく書き留めているので、案外よく戦中の各層の人心を伝えている(大佛次郎 『終戦日記』文春文庫 など)。
森明召天後82年が経つ。森明は愛する祖国の亡びを予見して深く憂えつつ早逝した。彼は諸々の事情から、少年期に友なき深い孤独に立たされた故にこそ、天父の愛への純粋な目を開かれ、自が罪、人間の罪を知らされた。その森明にとって「主にあって友となる」ことと「愛するが故に祖国を憂える」こととは別のものではあり得なかったのであろうし、「学生キリスト教共助会」の発想もその中から生まれたものであることを、今思うのである。