大和民族だけの主にある友情にならないために(2007年9月号) 森川静子

 東京と京都の共助会で戦前版『共助』を読み始めている。一九三三(昭和八)年三月から一九四四(昭和十九)年九月に突然止まるまでの十一年六カ月は、日本の歴史で言えば、日本がつくった傀儡政権の満州国が、国際連盟で圧倒的多数で否決され、国際連盟を脱退した月から、太平洋戦争の各地で玉砕が相次ぎ、敗戦に向かって転がり落ちている時までに当たる。読み方の速い東京で、二〇〇七年八月に一九三四年八月号まで読み進んだが、今までのところ、戦争に 関する記事、皇国史観を思わせる記事は驚くほど少ない。

 しかし、太平洋戦争が始まってからのものを探すと、「(『満州』の学校で)大体満系、朝系を通じて内地と同じ精神的訓育を施さんとする傾向に在ると思われた」(一九四二年二月号・六ページ)、「大東亜戦の驚異的戦果の連続もまた光輝ある祖国ことに皇室を世界の救いの爲に用い給う神の摂理の片鱗であろう」(一九四二年三月号・七ページ)などがある。そのころには、すでに日本に留学して共助会の仲間であった、植民地出身の私たちの先輩たちは、これらをどう読んでいただろうか(引用は現代表記に変更)。

 小笠原亮一牧師が第一回韓日共助会修練会の準備会の席上で韓国の李英環氏から聞いた、松村克己氏が「天皇が信仰を捨てろと言うなら、自分は信仰を捨てる」と語り、ほかの日本人会員が対決や批判を避けたということ。そしてそれが李英環氏の心にはずっとわだかまりとして残っていたのに、日本人からは一度も耳にしなかったことの驚愕(『共助』二〇〇一年四月号「韓国通信・」)。そうした植民地出身者の心に残った傷を、戦前版『共助』を読むときのフィルターにすることを怠ると、私たちは「大和民族だけの主にある友情」に陥ってしまうのではないか。「主にある友情」が長い歳月をかけて育まれてきたことを考 えると、私たちは今から、その中の大和民族だけに通じる思いの源を、はっきりと見極めなければならない。