韓国との出会い 石田真一郎
私が洗礼を受けた日本キリスト教団筑波学園教会は、創立(1978年)初期を、韓国人の留学生の熱心な祈りと奉仕で支えられたと聞く。私が出席し始めた1987年もその雰囲気があった。私はそこで池ち 性韓さんと出会った。牧師ではなく、一般のクリスチャンである。私が求道の思いをもっていると感じた池さんは、教会出席しながら個人的な聖書の学びに私を誘って下さった(牧師の了解を得て)。池さんは30才くらいで、奥様とお子さん方を伴って大学院に留学しておられた。
ほぼ毎週一回、一日の勉強が終わると、私のアパートに来て、聖書の学びの時をもって下さった。共に聖書を読んで、分かりやすく話して下さる。共に色々な賛美の歌を歌い、祈った。全くの無償奉仕で、キリストの愛なしにできることではない。半年ほど続いた。池さんのあまりの熱心さに疲れることもあったが、しかし今思い出しても感謝に堪えない。同じ教会に来ていた今の妻も聖書の学びに加わった。私が洗礼を受け、暫くして再開され、同じ教会の青年や、他の教会の友人も加わり、また半年ほど続いた。その教会には青野さんという、韓国に留学経験があり、日本の植民地時代の韓国の歴史をテーマに学ぶ方もおられた。私はその後、神学校に行き、1996年に結婚し、今の東久留米教会に伝道師として赴任し、2年8ヶ月後に牧師になった。池さんも一度、礼拝に来て下さった。
私は1996年の夏に初めて(妻は二度目)韓国に行き、光州におられた池さんのお宅に泊めていただき、韓国の大きな教会の礼拝に出席した。池さんの計らいで、小さめの集会で証しをさせていただいた(私が日本語で、池さんが韓国語に通訳)。ソウルには、あちらこちらに十字架のついた建物(教会)があった。二度目の韓国行きは2001年だったと思う。ソウルから離れた、緑多い広い敷地に国家プロジェクトとして建てられた独立記念館を見学した。日本の植民地時代の展示をしっかり目に焼き付けようとした。従軍慰安婦の方を性奴隷と呼ぶことを初めて知った。日本語を口にできる雰囲気ではないと聞き、緊張して行ったが、それほど怖い所ではなかった。お隣の国なのに韓国やその隣の北朝鮮の歴史を知らない。これではいけないと思っているがまだよく学んでいない。
共助会は、韓国との交わりを大切にしておられると聞く。それも私が共助会に入会させていただきたいと願った理由の一つである。ほんの少しずつ韓国語を学んでいる。日本、韓国、北朝鮮が和解に向かうことを、切に祈る。
(日本基督教団 東久留米教会 牧師)