親の七光り 本間信一

一 まえがき

私の「干支」は「丑うし」なので今年の誕生日が来ると8回目の年男になり、12年×8回=96の計算では満96歳を迎えます。

二 共助会との出会い とその前後

(1)私の誕生前後(1925年 大正14年)

その昔、今から丁度百年以前の1921年の秋、父と母が森明先生の司式で結婚。私が1925年に誕生しています。母の胎内に私が出来た頃、胎教として共助会についての会話が有ったと推定されます。勿論私自身の自覚があった訳ではありませんが。

(2)二・二六事件(1936年 昭和十一年)

その2月26日の東京は雪が積もっていましたが家から高田第五尋常小学校(現・目白小学校)まで近いので登校したところ「今日学校は休みだ」と言われて二・二六事件の事など知るよしもなく雪の為かと思い帰宅した覚えがあります。

その後長い年月を経た後、その日は「青年将校指揮の陸軍部隊がクーデターを目指して決起。内大臣 斎藤 実、蔵相 高橋是清、教育総監 渡辺錠太郎らを殺害したという大きな事件だった事」を知りました。決起部隊は29日に鎮圧されましたが、これ以後、軍部の政治介入が表面化し、日本は日中戦争(昭和12年7月7日)から太平洋戦争(昭和16年12月8日)へと泥沼の中に足を踏み入れることとなります。

(3)それから

父本間 誠は当時の世間で誰しも共通して認めた秀才コース即ち四中(旧制東京市立第四中学校)・一高(旧制第一高等校)・東大(旧制東京帝国大学)の出身でした。ところが他の小学校入学時、子どものほとんどが漢字を沢山書けた様でしたが、私は「信一」の「一」しか書けませんでした。それでも何時の間にか読み書きができる様になり今に至っています。 

米沢高等工業(現・山形大学工学部)を経由して早稲田大学理工学部電気工学科を昭和24年3月に卒業しています。この早稲田大学在学中は終戦後数年しか経っていなくて極めて落着かない時代でした。また、その頃も既に学習塾が有りましたが、私は小中学校に通うだけで精一杯でしたので塾には行きませんでした。そして今のNTTには30年間、本社採用でなく地方採用で気楽に勤め、主として中間管理職としてのサラリーマン生活を送りました。 

三 社会人として

⑴ 広島への転勤(1959年 昭和34年)

①60年前の東京駅の見送り

通算40年間のサラリーマン生活でしたが引越しを伴った転勤はこの時一回だけでした。今から60数年前(昭和34年頃)当時は東京駅発 夜行寝台車 翌朝広島着という今の感覚で言えば「遠い海外への転勤」の様な騒ぎで家内の親戚も大勢の見送りに来てくれたものでした。

② 聖日礼拝

結婚後、60年間の中で珍しく毎週欠かさず礼拝に出席出来たのは広島在勤約3年間で家内、長女と3人で子連れ用の部屋(礼拝堂の音は聞こえるが、こちらの音は礼拝堂に聴こえない)での参加でした。その後、東京に戻るまでに次女を授かり4人で帰京しました。この間、父本間誠を天に送ると言う悲しい出来事もありました。

③ 原爆記念館

当時は原子爆弾投下から10数年でしたが展示を見て強い衝撃を受けました。それからは東京から出張で来た人をなるだけ案内する様にしました。またアメリカ人の多くが「戦争を終わらせる為正しい判断だった」と今でも思っているのは残念な事です。

⑵ NTT・KDDI合同聖書研究会

コロナ騒ぎ以前は年に数回会合が開かれていました。私も現役の時からこの会のあることは知っていましたがNTTを退職してから出席する様になりました。また、年に一回機関紙を発行しています。教派は日本基督教団を始め多くの教派、無教会の方もおいでになります。そして、会の歴史は古く2016年に七十年記念号を出しています。その合同聖書研究会はKDDIの経営がNTTから独立する以前でした。 

⑶ 東日本大震災(2011年 平成23年)

過ぐる、3月11日は、マグニチュード9、死者1万5885人、行方不明者2623人という東日本大震災が発生して十年になります。

① 一夜だけの避難

友人からの誘いがあり、かかりつけの医者と相談の上、10年前2011年3月4日から11日の7泊8日「湯河原厚生年金保養ホーム」に御世話になりました。普通ですと一泊二食で昼食は別なのですが此処は三食出て専門の栄養士さんが常駐しています。利用は一週間単位で何ヶ月も滞在する人もいました(現在閉鎖)。最終日の3月11日朝食を済ませ、チェックアウト、路線バスでJR湯河原駅に、湯河原発14時5分発東京行き、途中、平塚で湘南新宿ライン籠原行きに乗り換え一路池袋に向かいました。途中茅ヶ崎のホームに停車し、ドアの開く寸前にあの地震でした。列車はまるで船に乗っている様に大きく揺れました。やがて「安全を確かめてからドアを開けますから、暫くお待ち下さい」という車内のアナウンスがあり、その後ドアが開きました。この時車内のほとんどの人が一心に携帯電話をかけていましたが通じない様子でした。車内は座席が充分あり何両おきかにトイレもあり、特に不自由はありませんでした。その後「駿河湾に大津波警報が出たので駅舎の外に出てくれ」との事、仕方なく街に出て営業している喫茶店を探して、そこに入りコーヒーを飲みながらラジオのニュースを聴きました。

三陸沖が震源との事、茅ヶ崎は遥かに遠いのにと、その時は思ったことでした。当時私は携帯電話を持っていなかったので、何回か公衆電話に並んで東京の自宅に連絡しました。改札口に人が居るので駅には何回か行きましたが、夕方になって「今日は終日運転しません。」とのアナウンス。

娘がインターネットで探してくれたホテルに行ったが、既に満室との事。その後茅ヶ崎市内で避難指示の出た地区の方々の為に市の文化会館を用意しており、そこに合流、野宿する事無く暖房の効いた部屋で休む事が出来、あり難いことでした。ここで非常食のお粥で腹を暖める事が出来て人心地が付きました。毛布を2枚借り、リノリュームの床に仮眠しました。

市役所の方が大変親切で交通事情やダイヤを教えてくれ、お陰で翌朝路線バス、茅ヶ崎5時50分発藤沢行きに乗車。藤沢から小田急の新宿に向かい、迎えに来てくれた娘と新宿から副都心線で池袋(この時JRは全線運休)。池袋から西武鉄道で東久留米に、駅前からタクシーで自宅。朝食の後ゆっくり休みました。 ② 原子力発電所の事故

この時の大地震による津波の為福島にある東京電力の原子力発電所の事故は10年経ってもまだまだ気の遠くなる程の未解決

の案件が多く、此処では省略します。

なお岩波書店発行の月刊誌「科学」2020年11月発行特集

号の「原発事故:伝承の前に検証を」私もこれから読みます。

四 最近の歩み

⑴ 老人外出心得の帳

コロナ騒ぎ中でも病院への通院など止むを得ず外出する時があります。その時心掛けているのは、

① 電車を待つ時ホームの最前列には並ばない。

理由(A)ホームドアの無い駅では風圧でヨロケル事がある。

理由(B)電車が来てドアが開いた時足がもつれて後の人の邪魔

になる。

② 長い車両の電車に乗る時は、先頭車両と最後尾の車両にはなるべく乗らない。

理由(C)何か事が起きた時に対応が遅い。

③ 駅の階段中央は避けて右若しくは左側の手摺を頼りにして昇降する。

理由(D)自分の昇降の速度が遅いので他の通行人の邪魔

になる。

④ エスカレーターに乗ったら、前が空いても移動しない。

 理由(E)移動のためヨロケル危険がある。

⑤ 付き添いが居る時は「老いては子に従え」を思い出してその人の指示を出来るだけ尊重する。

⑵ 望外の喜び(2013年 平成25年)

数年前の2013年に88歳つまり米寿を迎えました。この年に有り難いことに、高齢者叙勲で「瑞宝双光章」を受章しました。大変光栄なことでした。勤務中にそれ程の功績を上げたわけでもないのに唯々幸運にも上司、同僚、部下の何れにも恵まれたと言うしかありません。 現在、週に一回デイサービスのお世話になっています。誕生日にハッピバースデイを歌って貰いその日にスナップ写真を撮影して貰いました。

⑶ コロナ禍以前に大病

現在は新聞もテレビもコロナ禍で持ち切りですが、緊急事態宣言が出る以前に、私にとっては大きな病気の後でしたので本当に有難いことでした。それは左記の三件です。

① ソケイ・ヘルニア(2018年)

この年の暮れ、前記の為入院・手術を受けました。12年前右のソケイ・ヘルニアの手術を受け、この時は左でした。12年前の術後の経過と比べると、回復のスピードが格段に遅く12年間の体力の衰えを思い知らされました。

② 白内障手術のために入院(2019年)

最近の白内障手術は日帰りが普通の様ですが、小生の体力に合わせて8月に右目の手術のため2泊3日東京医科歯科大学医学部付属病院に入院。1週間の間を置いて左目手術ため2泊3日の入院でした。

ところが翌2020年から現在まで、この病院はコロナの感染患者のために病床を提供して居るのです。新聞・テレビで御想像がつくでしょうが一般病棟も含めて病院中大騒ぎだと思います。それを考えると、私の白内障手術の時期は、滑り込みですが大変良いタイミングだったと思います。

③ 救急車のお世話になった事

2019年暮れも押し詰まった12月30日に門松を買って自宅への帰路、転倒し顔面(おでこ)からかなり出血してしまいました。これを見た方が救急車を呼んで下さいました。

病院で必要な措置(9針縫った)を済ませて入院はせず その日のうちに帰宅しました。翌日を含めて何回かの外来で受診して、年を越して翌年1月9日の外来で抜糸。「これで治療は終わりました。入浴もOKです」との診断でした。

以上三つです。もしこのうち一つでもコロナ騒ぎの最中でしたらと考えると、とても乗り越えられなかったと思います。

五 最近購入した書籍など

以下に挙げた書籍や月刊雑誌は本屋さんの店頭、若しくは日経新聞に載っていた広告で面白そうだと思って買ったものです。隅から隅まで全部読んではいませんが、左記の本は何処か面白い所が必ずあると思います。

① 『9歳までに地じ 頭とうを鍛える! 37の秘訣』 

2015年8月10日初版第一刷発行 著者 大川栄美子

発行所 扶桑社 定価:本体1300円プラス税

著者略歴 大川 栄美子《「ギフティッド」大川翔の母として知られる。東京弁護士会所属。弁護士の傍ら予備校、大学、法科大学院で教鞭を執る。超難関の旧司法試験で、創立以来合格者がいない大学から合格者を出して欲しいと依頼を受け、大学で講義を担当。その結果3年後に合格者を出す。その卓越した指導力により、司法界伝説の「リアルドラゴン桜」と呼ばれる。》

② 『君の志は何か:超訳 言志四録』前田順弘(編訳)

2015年6月30日初版第1刷 発行所 日本能率協会マネジメントセンター 定価:本体1600円プラス税

編訳者 前田順弘《経営コンサルタント、ファイナンシャル・プランナー。高校講師、専門学校教員を経て独立。経営、会計、金融、マーケティングなど幅広くビジネス教育に取り組むとともに、様々なジャンルで執筆・コンサルティング活動を行う。》

③ 『仏教とキリスト教の対話』

先日亡き妻の遺品を整理した処発見したもので、佐古先生の本間泰子宛てのサインが有りました。

ひろさちや・佐古純一郎共著、発行所 鈴木出版株式会社、文京区本駒込6―4―21電話03―3945―6611

④ 『記者ハンドブック』 新聞用字用語集 第13版 編著者共同通信社 定価:本体1900円プラス税

六 おわりに

コロナ禍のワクチンの普及の効果で一日も早い終息を願う日々です。完全にコロナ以前の生活に戻るのは何年先になるのかわかりませんが、私の場合は有難いことにかかりつけ医で1回目の接種を5月28日(金)に済ませ、2回目の予約を6月18(金)に取り気分的にはひとまず安心です。(日本基督教団 目白町教会員)