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“ひと区切り”を心に刻む (2009年5月号) 石川 光顕

 私は、この三月で四〇年間の都立高校教員としての生活にピリオドを打った。最後の三年間は、嘱託員として授業中心の生活であった。学力的にも輪切りにされている進学校の中で、国際高校は、実にいろんな生徒がいて私にとっては楽しい学校であった。入学式は四月と九月にあり、一学年約二四〇人の中で二割弱が帰国生であり、約一割強が在京外国人である。因みに八割が女子である。当然、日本語の習得レベルによってクラスが分けられている。昨年度「数学A」という一年生の科目で日本語の習得レベルが一番低いと思われるクラスを受け持った。生徒四人でのスタートだった。四月に初めて〝ゼミ室〟と呼ばれる小さな教室(沢山ある)に行って驚いたことに、よく見ると私の話を英語でメモっている帰国生の日本人や、漢字日本名の名前や顔からでは分からない外国人がいるのだ。

  人間は見かけでは分からないものだと思ったが、実は「もっと内面を見よ、見えるところではなく見えないところに目を注げ」とは、私の教育の原点である。これは教師を始めた定時制で養われ、四〇年間繰り返し立ち返らされてきたことである。

  様々な生徒(私より年上もいた)との出会いを通し、私は失敗に失敗を重ねる中で、人間の何を見るのか、信頼を得るには何をすれば良いのかなど、おぼろげながら分かってきたと思う。私にとって「イヤな生徒」でも真正面から対峙すると、〝始めは敵としての教師〟から〝ちょっと違うかな?〟と生徒が持っている「教師」という既成概念を自らが打ち壊していくことが見えてきた。その信頼関係構築の筋道は勿論セオリーがある訳ではない。私が心掛けたことは、教師然としないことや、諦めない・しつこい教師として動いたと言えるだけかも知れない。

  ただ、これらのおおもとには、親から受け継いだ〝信仰〟があり、加えてこんな私に示してくれた共助会の先達たちの真実なる〝主にある友情〟が、私の四〇年間の底流で支えとしてあったということを改めて〝一区切り〟を意識すると確信出来るものである。四〇年間の長い短いが問題なのではなく、〝ひと区切りの意識〟が大切なのではないだろうか。

  共助会は、今年創立九〇周年を迎え、その記念事業のひとつとして「九〇年史」を分担して編集しようとしている。私は今〝九〇年間〟を〝ひとつの区切り〟として意識し、その底流にある確かな主にある友情を導いた〝神の恩寵〟をしっかり心に刻みたいと祈っている。