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アンティオキア教会のキリスト者の群(2004年12月号) 内田 文二

 ステファノの殉教に端を発したエルサレム教会への大迫害により、使徒たちのほかは皆ユダヤ、サマリヤの地方、更にアンティオキアまで散らされて行き、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。特にアンティオキアではギリシャ語を話す異邦人の世界へ進出して行ったと使徒言行録に記されている。散らされた使徒達は、ほとんどその名も記されていない無名のキリスト者の群であった。

 当時のアンティオキアは、ローマやアレキサンドリアに次ぐローマ帝国の大都市であった。大都市にありがちな、現代の大都市にも実感されるような快楽的な生活態度がはびこっていた。

 そのようななかで導かれてパウロが加えられ、「彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。『さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事にあたらせるために。』そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた」(使徒言行録13:2)。

 『共助』9月号の巻頭言「霊について」で、小笠原亮一氏は、「私は近頃、イエスの十字架と復活の後、ペテロたちが心を合わせて祈り、聖霊降臨をいただいたことの深い意味を思う。弟子たちはそれ以前からもイエスを見、その霊にあずかってはいたが、しかし、イエスの十字架と復活を見て、イエスが父なる神と一つなる愛と命の霊に生き、死に、復活し、今生きておられることを知った。そして彼らもまた、根底から新しく、その霊に生かされ、真にイエスの従う道が切り開かれた」と記された。

 共助会の創立者森明に洗礼を授けた植村正久もまた霊性について語った。上村における霊性とは、生命の秘儀を感ずる心であり、心の奥底に内在して聖なるものに感応する性を意味する。しかしまた植村は、罪を「霊性の病」と呼んだ。 現代の日本人は霊性について語ること少なく、「霊性の病」に深く悩みうめいている。

 私は近頃、霊性の回復を祈りながら、世界伝道のさきがけとなったアンティオキアのキリスト者の群を思い起こし、アンティオキア教会の中に、今日の教会の在るべき姿勢を見出してゆきたいと思う。