キリスト教共助会90年の歩み編纂に期待する (2009年10・11月号) 和田 健彦
この夏、あることで初めてヨーロッパ旅行をする機会を与えられた。ジャコビニ読書会で、今日の欧米におけるキリスト教の状況について読んでいたことは、この地を訪れる関心事の一つとなっていた。
小さな田舎町に泊まったホテル隣の小高い所に、十五世紀頃の要塞をかねた石造りの教会堂と、そこで聞いた話が印象的だった。石造りの堅固な教会堂は、村民や領民の信頼をえて、当時重要な働きをしていたことを物語っていた。現在は少数のお年寄りが、日曜日に礼拝を守っているが、若者は教会に関心がなく、信頼していないという話だった。いろいろな教会があると思うが、読書会で読んでいたとおりの話に驚いた。
またパリで、空に向かってそびえ建つ巨大なノートルダム大聖堂には、内部のステンドグラスとともにその美しさと存在感に圧倒され、しばし目に焼き付けようとたたずんだ。多くの古いカソリックの教会堂を見学したが、プロテスタント育ちの私は、「教会は建物ではない」と思いながらも、「教会とは何か」と考えさせられていた。さらに、箱根での共助会信仰修養会が終わって、間もなかったこともあり、話題になっていた教会と共助会の関係、共助会の意味合いなどの問題が頭から離れない旅行であった。
共助会は教会ではないが、欧米の教会や教派の影響を受けず、「キリストのほか全く自由独立」「主にある友情」という基本精神のもとに、財産もなく組織も最小限にして、その歩みは九〇年間途絶えることがなかった。これは特筆すべきことだと思う。そしてこの歩みには、会に全てをかけ、また生涯信仰の支えにした方々が多くいる。関屋綾子先生への尾崎風伍先生の追悼文(共助誌二〇〇三年一月号)には「……長い日々と重なっていつも心に残るのは、『中渋谷教会』であり『共助会』である。私の家族の中には、結局その二つだけでしかない。」と関屋先生の共助誌の巻頭言を引用し、「『その二つだけしかない』と言い切るほど共助会のことを大事に思っておられたのである。」と尾崎風伍先生は述べている。
病床の森明による、大磯での五時間半にわたる命がけの贖罪論講義は、文章化が試みられたが実らなかったと聞く。この贖罪の信仰は「主にある友情」の消息をとおして、その内実が共助会九〇年記念誌に表されるものと期待される。編纂に当たっている方々のご労苦を祈りたい。