自立を考える (2009年9月号) 中西 博 

 40年前に大学受験をする時に、人から言われたことがあった。「何の為に大学に行くのか」その答えは、「真理を探究しに行く」ということを言った覚えがある。他の人からは「生きる為に行くのだよ」と言われて、そうなのかとも考えた。大学に入ってから飯沼二郎先生に質問したことがあった。その答えは「自立」でした。

  小学校時代に教えられたことは、日本は貿易収支が赤字である。それを黒字にする為には、資源のない日本は加工貿易で行くしかない。即ち、日本が自立する為には、加工貿易で経済を運営して行くべきと教えられた。そうして、高度成長時代が来た。金の卵、プラチナの卵と言われ、多くの人達が東北地方等から東京を目指して、働きに来られた。

  多くの人が農村から都会(東京、大阪)へ目指し、そこで働き、また大学を目指した。学生運動の基本は教授が学生を人と思わないで動かして来た所に問題があると言われた。予備校の先生から「大学解体が叫ばれ、受験しようとする大学が無くなるかもしれない」と言われ、今では考えられない時を過ごした。大学紛争が終わるころに入学した。その時は、公害、ベトナム戦争が深刻化している時で、日本はそのお蔭で経済発展をしたと言われた時でもあった。日本の経済発展(経済的自立)は朝鮮戦争、ベトナム戦争という他国の苦難の元に進んだという負い目があった。その後、公害は新しい技術により改善された。

  日本は明治以来軍国主義とともに産業は製糸業、軽工業から、重工業へ、敗戦後、石炭化学から石油化学(産業のベース:素材産業)へと発展した。油田が発見され原油がバーレル1ドルという価格が日本の経済発展を進めたとも言われている。確かに生活様式が大阪万博(1970年)の時にがらりと変わったと実感する。第一次、第二次石油ショック(原油価格の高騰)が起こると共に、生活の危機感を感じたが、自動車、電機産業、半導体産業の発展のお蔭でその恩恵を受けた。1985年のプラザ合意(円高ドル安政策)があるまでは、ジャパン・アズ・No1ということが語られたが、その後のバブル崩壊でも日本の経済は以前と変わらず輸出依存の経済になっている。大学を出たころは、「日本は欧米に追いつけ、追い越せとがむしゃらに働いて来たが、先頭集団になった時に、何をするのかが見つかっていない」と良く経営者から語られた。

  日本のこれからは、やはりものづくりと言われ、環境問題が語られると共にガソリン車からハイブリッド自動車が出てきた。その先は電気自動車(中国の三輪車型電動スクータが脅威であるが)であろうが、いずれもニッケル水素電池、リチウムイオン電池がポイントになり、世界の電力が太陽光発電へと舵を切っている(2020年に3%、2030年に10%、2050年に36%、2100年には70%)。自動車、電池、太陽光発電が推進力になるのだろう。

  この巻頭言が出る頃には、自民党政治から民主党政治に変わっている可能性が高い。日本は経済的自立が求められ、「経済発展と共に、忙しさにまぎれ、私達は何か心の問題をおざなりにして来たのでは?」とも語られている。私達は教会の礼拝で神の前に立つ経験をするという。この変革の時期に、神の言葉に依り点検され、私達は自立した歩みを進めたいものである。