今、現代をどう生きるか ─共助会の絆、友情に支えられて─(2013年 8 号) 鈴木孝二
あの三・一一直後、基督教独立学園高校(山形県小国町)を退職して、新潟の地に戻った。全くフリーな生活がはじまった。一日一生。今、現代をどう生きるかが問われている。その時、私の深部にくい込み、根底を支えているものが鮮明になった。それは共助会との絆、主にある友情である。感謝の思いが湧き出てくる。そして、今、考え、思うことを率直に語らせてもらう。
(一)家事手伝いなどを終えて、朝夕のいずれかに近くの高台の公園に立ち、いつも短く祈る。東、飯豊山方向の独立学園のこと、西側は、日本海をはさんで佐渡島、小野弘先生と教会のこと、そして、共助会と友たちのことである。近づく共助会新潟集会のことも含む。
(二)八月上旬、共助会夏期信仰修養会に参加するに際し『中渋谷教会八十年史』と森家、岩倉家に関わる本数冊を読んだ。森寛子・明母子が、家庭集会に出ていた岩倉櫻子への伝道を願い、その住居近くに講話所を開いた。今から四年後に百周年を迎える中渋谷教会と牧師のために改めて祈りたい。
(三)八月七日、湯河原での修養会を終えて、越谷市の秋山昇先生を訪問。たくさんの話の中、最も好きな作家小山清に及んだ。そこで辻淳「孤独な作家小山清」の一文を見せてもらった。家に帰り『小山清全集』(一冊本)をひもとき驚いた。なんと小山清は、第一回東京市内外学生大連合礼拝に出席し、内村鑑三、高倉徳太郎の話を聞いている(「聖書について」参照)。
翌八日、大学時代の恩師湯浅赳男先生(八三歳)宅(さいたま市岩槻区)を訪問。そこで、現在の東アジアの危機について語り合った。歴史の問題である。今、先生の著書二冊を紹介したい。
①『日本近代史の総括』(二〇〇〇年)
②『「東洋的専制主義」論の今日性・還ってきたウィットフォーゲル』(二〇〇七年)
共に新評論刊。なかでも①は、近現代史日本と東アジアのこと、日米関係のことがつかめる。そして「ユダヤ人の歴史から学ぶもの」の章がある、好著と考える。
(四)八月三十一日(土)再度上京した。
「関東大震災90周年記念集会」(於明治大学)出席へ。
①坂本昇氏の基調報告「歴史研究と歴史教育の課題」は、東京都、横浜市の動きと共に語られた。
②日弁連の米倉勉氏は、「排外的傾向が強まるなかで」、最近の裁判所での様子もふまえての報告である。
③西崎雅夫氏の「追悼碑ができるまで─東京の朝鮮人虐殺の実態」は、たいへんなものであった。歴史とは何かと迫って来る。その後、入院中の河村博先生と再会、祈りを共にした。翌九月一日(日)上星川教会の礼拝に出席、牧野信次先生の説教を聞く。午後、猛暑の中、横浜山手を歩き、フェリス女学院では、ミス・カイパー校長のことを覚えて帰途についた。実に、人生は旅である。アブラハム、主イエスのあとを追うものでありたい。マラナ・タ。
なお、河村博先生は、私がお見舞いしてからちょうど一カ月後の九月三十日に召天された。心から哀悼の意を表する。